高塚裕士
灯火 ハ 温カイ 湯ケムリ ノ 立ツ トコロ 株式会社 天保堂[二代目]YUSHI CAFE 2005 開業 ”一杯の珈琲から無限の幸せを追求する” ”まちの舞台となり文化を創る” 先祖と暮らすまち”望月”でみんなと共に幸せのカタチを考えながら珈琲を淹れる日々 |
(2024年9月 佐久市望月「YUSHI CAFE」にて)
僕にとっての縁側
(清水宣晶:) ユウシさんは、生まれは望月なんですか?(高塚裕士:) 生まれは、埼玉県の大宮です。
この場所は、おじいちゃん家だったんですけど、小さい頃から、お盆とかお正月にはここで過ごさせてもらって。
なので、子供の時からずっと知ってはいた場所だったんです。
望月に住み始めたのは、お店を始めるちょっと前から。
じゃあ、夏休みとかに、帰省しに来る場所だったんですね。
そうなんです。
だから、この近所には親戚がたくさんいて、それはすごく助かりました。
開店前にリフォームの工事してると、「誰の子だい?」って声かけられて。
「シナちゃんの息子さんかい、じゃあご飯でも食べに来なよ」って言われて、ずうずうしく食べに行ったりとかして。
みんな無条件で協力してくれましたね。
それは、まわりの人たちも嬉しいでしょうね。
ああ、あの家のお孫さんこっちに来たんだね、っていう。
YUSHI CAFEの建物は、以前は骨董屋さんだったんですよね?
そうなんですよ。
おじいちゃんが晩年に、ここに住みながら骨董屋をやっていて。
趣味を活かしてだと思うんですけどね。
住宅の一部を、お店にしてたような感じだったんですね。
僕が小さい頃、骨董屋さんには、いろんな人がお茶を飲みに来て。
その時は、縁側があったんですよ。
おじいちゃんが「上がっていきな」って言ったら、みんな「ここでいい」って縁側に座って、そこにお茶出して。
そういうの、いいなあ。
なんでこの人たち、用事もないのに来てんのかなあって、小さい頃ずっと思ってたんですよ。
入れ替わりで、1日に10人ぐらい来てたから。
みんながふらっと立ち寄って、たわいもない会話をして。
僕はでもそれ、結構、大事なことなんじゃないかなと思う。
人間ってそういうところで、安心したり、幸せを感じたりするから。
僕には、そのイメージがずっとあるので、この場所が、僕にとっての縁側なんですよ。
ああ、縁側っていいですね。
今、どの家も縁側がないんですよ。
だから、なんて言うんですか、お茶飲みの時間っていうのがなくなってきちゃって。
縁側って、家の内でも外でもない、曖昧な場所でしょう。
家の周りを塀で区切って、ここから内側は自分の敷地だ、って明確にすると、
他の人が入ってこれなくなっちゃう。
そうそう、そうなんですよね。
こっちに来て、埼玉や東京では感じたことのない、近所の人たちとの関わり方を初めて知りました。
でね、なんかずっと住んでて、よくよく見てみると、いい距離感を保つっていうことが、逆に、いい関係を長く保つ秘訣なんだなと思って。
ほうほう。
どういうことですか?
意外と、近所だからって、がっちり仲良くいつでも一緒っていう感じじゃないんですよね。
ちゃんとお互い挨拶もするし、何かで困っている時は助けるし、いただきものをお裾分けしたりお返ししたりっていうのはあるんだけど。
でも、それ以上干渉しない。
そうなんですか。
僕のイメージだと、ご近所づきあいの距離が近いのかなっていう気がしたんですけど。
たしかに近いんですよ。
でもね、よくよく観察してみてみると、それ以上に距離感をちゃんと保ってる。
「あ、これは大事なことだな」って、すごい勉強になって。
離れすぎるのもあれだけど、縮めすぎるっていうのも、逆に、いいことでもないかもしれないな、って。
ちょうどいい距離感でね。
なんて言うんですか、遊びがちゃんとある状態でいるのがいいんだろうなって。
なるほど。
それは、よくわかります。
僕もね、最初は失敗したことがあって。
地域に溶け込もうと思って、消防団に入ったり、飲み会に参加したり、頑張ってやってたんだけど。
はいはいはい。
結局、店始めたら、朝から晩までずっと店にいることになるでしょう。
消防団の活動には1日も行けなくて、結局迷惑かけちゃって。
だから、自分が責任持てないところまで無理するのは、ダメだなと思って。
なるほどなあ。
だから、移住してきた人たちには、「無理に距離を縮めようと思わないで、長い時間かけて、お互いに干渉しすぎない距離感で、ちゃんと信頼関係を作った方がいいですよ」って、最近は言うようにしてます。
人生を共に歩む仕事
YUSHI CAFEには、毎日来られるような方も、結構いるんですか?だいたい30人ぐらい。
30人も!
それはじゃあ、お互いに顔見知りの関係なんですね。
そう、もうみんな本当に、家族みたいなもんですよ。
朝来て、夕方にもまた来たり。
ここに来て、その場に居た人と話をして、で、決まった時間に帰る。
来ない日があると「どうした?」って感じになるし、
3日も来ないと「何かあったかいな」って。
それはなんか、住んでいる家とはべつの、もう一つの家みたいな感じですね。
そうそう。
僕がそういうものを初めて体験したのは、お店をはじめたばかりの頃で。
その時は、コーヒーの淹れ方とかまったく知らなかったんです。
それでね、小諸に、ベルコーヒーさんっていう自家焙煎の喫茶店があるんですけど、うちの父親と、そこのマスターが同級生で。
「ユウシ、コーヒーやるならちゃんと勉強をした方がいい」ということで、話をつけてきてくれて。
おお。
喫茶店で修行することになったんですね。
本当に、ベルコーヒーさんがいなかったら今の僕はなかったと思っていて、コーヒーの基礎から全部教えてもらった場所でした。
そのとき僕、修行しながら、カウンターの中に入るわけですよ。
そうするとね、毎朝同じ時間に、必ず同じ席に座る人がいるんです。
で、次の日も行ったら、また同じ人が同じ時間に同じところに座って新聞読んでいる姿を見て。
あれ?これはデジャブかな?と思って。
ぶははははは!
同じ一日が繰り返される世界に入っちゃったかなと。
毎日、同じことが繰り返されてるわけです。
同じ人が来て、また同じような話ししたり、ニュースの話ししたりとかして。
この人たち毎日来るんですか?ってマスターに聞いたら、
「うん、そうだよ。喫茶店はね、お客様と人生を共に歩むのが仕事なんだよ。」って。
うわーーー。
なるほど、そうか、と思ったんですよ。
だからこそ、自然と、そこに集まる人たちの中から文化的なものが生まれてくるんだ、と。
僕は、カフェの文化を作るって、どういう風にしていいかわかんなかったけど、それを見させてもらって、自分の目指すべき姿が見えた気がしたんです。
みんなが集まる、町の舞台を作ること。
そこでは、みんなが演者であって、自由に演じられるような世界を作っていくことが、文化を作る助けになるんじゃないかと。
それでね、僕もそういう風に、みんながいつでも気軽に集まれる場所にできたらいいなと思ったんです。
なるほど。
YUSHI CAFEって、いつもユウシさんがいるじゃないですか。
この場所に来ると、いつもお店の明かりがついていて、ユウシさんがいる、っていうのはすごく安心だし、大事なことだと思います。
僕も週に1日、休ませていただいてるんですけど、お客様はいつでも来たい時に来れるようにしたいから、お店はもう、休まず毎日開けた方がいいなと。
いや、でも大変なことですよね。
お店を毎日開けて、ここに常にユウシさんがいるっていうのは。
うん、でもそれ以上に、僕はもう、とにかくここにいて、世界を作っていくのがすごい楽しいんですよ。
だから、僕にとっては仕事であり、趣味であり、人生のミッションであり、使命みたいなところがある。
できれば1日24時間でもやっていたいぐらいな。
その楽しさは、すごくわかります。
毎日何が起こるかわかんない、リアルな舞台みたいなもんですよね。
そうそう。
なんか、僕もね、見てて面白いなと思って。
最初はこれ、何か映像とか文章とかで残したら面白いなと思ったんですけど。
でも毎日起きてるから、別に残さなくてもいいやと思って。
(笑)常に新しいことが起こるから。
本城桃さんの「ユ-シカフェ日記」にも書いてありましたね。
毎日繰り広げられる光景を桃さんは「ユ-シカフェ劇場と呼んでいる」って。
うん、桃さんが書いてくれたとおり、毎日あんな感じですよ。
毎日違う、新しい映画を見てるようでね。
だから、なんか一番の趣味ですよね、寝ずにやりたいぐらいの。
ユウシさんは、やっぱり、コーヒーを淹れるっていうことよりも、場所を作りたいっていうほうが先にあったんですね。
そう、場所が先で、コーヒーのほうが後。
ベルコーヒーさんに修行しに行ったとき、僕は覚えてなかったですけど、一番最初に、「僕はコーヒーより紅茶が好きなんで」って言ったらしい。
ぶははははは!
それ、すごい度胸ですね。
いまだにそのこと言われますよ。
「ユウちゃん、コーヒーより紅茶の方が好きなんだよね」って。
もちろん今は、自分なりに勉強もして、コーヒーも好きですよ。
でも、僕はコーヒーじゃなくてもお店をやる。水だけでも。
1回限りの最高のゲーム
最初は、誰も来なくてもやりたい、って思って始めたんです。でも継続しなきゃいけないから、どういう風にしたらやっていけるんだろうと思って。
僕は当時、ホームページとか作るスキルはあったんですよ。
そういうのが好きだったから、お店始める時に、何社かホームページ制作を担当させてもらったりとかして。
誰も来なくても、なんとかそれで稼げばいいやと思ってて。
ユウシさん、そういう、ITの人だったんですね!
そうだったんですよ、当時はね。
今はぜんぜん。スマホも携帯だって持ってないもん。
そうなんですか!?
どうしちゃったんですか、それは。
お店を始めた当時は、携帯持ってたんです。
朝7時からオープンしてたんで、4時とか5時に起きて、仕込みと準備をして。
で、終わるのが夜の8時で、片付けとかで11時までかかるでしょう。
もう、帰ったら寝る時間しかなくなっちゃって。
はい、はい。
終わった後に、携帯見たら、着信とメールがたくさん溜まってて、それを返すのに2時間ぐらいかかってた。
これはもう、ちょっとやりきれないから、みんなに「なんか用事があったら、店のほうに電話してくれればいいから、いったん携帯持つのやめるわ」って言ったんです。
そしたらそれから、誰からも連絡来なくなった。
ぶははははは!
だからね、わかったんですよ。
緊急の用事ってないんです。
そうですね。
それまで来てたメールも、じつは、たいした用事じゃなかった。
そうなんですよ。
自分が必要性を感じた時にまた持とう、と思って携帯持つのをやめたんですけど、それっきり、必要だと思ったことないです。
で、案の定、僕ずっとここにいるじゃないですか。
だからね、お店に電話すれば誰でも連絡つくんですよ。
それほど、ここにいる時間が楽しいってことですね。
結局、デザインするのが好きで。
このお店の空間もちろんそうですけど、みんなが働きやすい環境を作ったりとか、会社の経営とかお店の運営とかも、デザインじゃないですか。
それをこう、美しくデザインしていくのが楽しいっていうのがあるのかもしれないですね。
いや、なんか、聞けば聞くほど、
めちゃくちゃ楽しそうな仕事だって思えてきました。
そうなんですよ。
人もお店も生き物だから、自分が思ったとおりには当然ならないけど。
それでもね、なんか仕組みを作って、みんなが幸せになる方法を発見していくことが、すごい楽しい。
ファミコンやってるのと同じぐらい。
そうですか。
そんなに!
そんぐらい楽しくなかったら、家でファイナルファンタジーのゲームでもやっているかもしれない。
ぶはははは!
いや、これ実際、ロールプレイングゲームですよね。
少しずつ経験を積んで、レベルアップしていって。
そう、しかも、現実世界で人生をかけた、1回限りのゲームじゃないですか。
他のどこにもない、最高のゲームです。
努力よりも正しい選択
ユウシさん、YUSHI CAFEを始める前っていうのは、接客業とか飲食業自体、未経験だったんですか?
そう。
僕、カフェの前に何をしてたかっていうと、音楽活動してたんです。
中学2年生のときに、プロギタリストになるんだって言って。
えええ?
マジですか!?
なんでかっていうと、ただ単に友達のツチヤ君が「僕はプロギタリストになる」って言ったんですよ。
僕、その時まで、自分の人生で何やるかって考えたことなかった。
「あ、自分の人生って自分で決めていいんだ」って思って、その彼がすごいかっこよく見えたから、僕もギタリストになろうって。
ツチヤ君と同じ夢にしちゃった!
でも、僕ももう、真剣にやりましたよ。
そこから音楽始めて、実際にお金をいただく活動もして。
その時に演奏する場所は、ライブハウスもあったけど、ジャズバーとか、カフェで演奏することもあったんですね。
その中で、カフェっていうところが、他の空間とか場所とかと、なんか違うなと思ったんですよ。
素敵だなと思ったのは、ライブが終わった後で話しをすると、デザイナーとか画家とか、写真家、舞踏家とか、いろんな職種の人たちが来たりする。
そういう人たちの、文化的なエネルギーが集まる場所だなと思って、すごい魅力を感じた。
その時はまだ、自分がカフェをやるなんて考えてなかったんですけど。
いろいろな場所を巡る中で、カフェっていう場所の魅力に気がついたんですね。
それとね、ライブで地方に遠征していくと、海の近くの街だったら海産物や、漁師の生活があったり。
木々の植生だって、その地域によって違うし、地方って面白いなっていうのもその時感じたんですね。
そういう、後から振り返ると、今やっていることにつながる経験もあったんですけど。
25歳のときに、僕は音楽活動をやめることにしました。
それは、どういうことで。
やっぱり自分には向いてないなと思ったんです。
10年間やって、努力してできる部分と、努力ではどうにもならない部分がある。
最初からなんとなく気づいてたんだけど、やっぱり僕には合ってなかったっていうのに気づいて。
それでね、やめたんですよ。
その後、25歳から27歳まではサラリーマン。
なんと、会社員の時代もあったんですね!
だから、言ってみれば、そこでいったん社会に戻るって形になったんですけど、サラリーマンも、どうもうまくいかなかった。
じゃあ自分は何をやっていこうかな、って思ったときに、せっかくいただいた命と人生の時間だから、自分が思いっきりできることがやりたい、と。
はい。
僕は、カフェっていうのは文化を作れる場所だと思ったので、この、先祖が生きた場所で、みんなと一緒に文化を作る仕事ができないか。
あとは、自分の持ってる能力で、生きていける何かを考えた。
それでね、とりあえずwebデザインの事業を立ち上げて、その仕事をしながら、お店の改装工事をして、28歳の時、2005年の2月15日にお店をオープンした。
カフェをやりながら副業的に、ITの仕事もやってたんですね。
そうなんですよ。
お店を開いても最初は誰も来ないだろうと思ったから、ITの仕事もずっと続けていくだろうと思ったんです。
ところが、やってみたら、幸いなことにカフェはすぐに順調に動き始めた。
普通にお客様も毎日来てくれたので、だんだん忙しくなってきて。
webのほうの仕事は、やる時間がなくなっちゃったから、そっちは引退して。
それ以来、20年続いてます。
その前に10年間一つのことだけにかけてきた音楽活動をやめたってのも、結構な決断ですね。
そうですね、すごい苦しかったです。
でもやっぱりね、表現って、自分がやりたいとか、好きだからって、それが花開いていくのかっていうと、必ずしもそうではないですよね。
突き詰めていって、音楽に対して理解が深まれば深まるほど、自分ができないこととか、限界もすごいわかってくる。
なるほど。
僕は向いてないんだな、って決着をしたのが10年後だった。
それから、僕はもう一切、自分に向いてないことはやめよう、と思って。
自分が10年間やって思うのは、努力は絶対大事だけど、努力よりも正しい選択の方が大事かなって。
そうですね。
そもそもその、いる場所が自体が正しいかどうかっていう。
そうなんですよ。
だからね、ここで働いてくださるスタッフさんの採用の時も、その人が本当に幸せになる選択かどうかって、常に見極めながら採用をさせていただいて。
その結果、見送っていただくこともあるし、見送らせていただくこともある。
最終的には、その人にとって幸せな選択をするのが一番いいと思ってますね。
ユウシさんは、カフェの仕事は20年続いてるんだから、向いてるってことですね。
そう、この仕事をやってて、ツラいって思ったことは一度もない。
どうやったらみんなを幸せにできるか、ワクワクできるか、楽しいことができるかっていうのを常に考えながら。
やっぱり僕にとっては、これが向いてるし、大好きなことなんですね。
物語から空間を作る
僕は空間デザインとか詳しくないですけど、YUSHI CAFEの空間は、すごく美しいと思います。お店のデザイン的な部分は、ユウシさんの感覚で決めてるんですか?
この場所って、僕のじいちゃん家であって、骨董屋さんだったっていうのがあるじゃないですか。
もともとここには、物語があったんですよね。
それを、自分の中で紡いでいってるっていうイメージで。
改装のときは、物語がなくなってしまわないよう、大きな建具を入れるとか天井をぶち抜くとかはしないで、なるべく手を入れずに。
そういう感じで、もともとあった物語から想像しながら、空間作りをしていきましたね。
家具とか、ミシンみたいな古道具とかは、昔からこの場所にあった物ですか?
後から集まってきた物もあります。
古美術商の許可を持ってるので、古民家を解体するようなときに連絡をいただいて引き上げにいって。
で、その中から、パーツを少しずつ組み替えてったりとかして、より理想的な空間に近づけられるようにしている感じです。
でも、物語があるってのは、すごい価値ですね。
物語って、気がつけばそこにあるもので、自分だけの力では作り出せないものじゃないですか。
おっしゃる通りだと思います。
形だけ古民家で始めたとしても、全然縁もゆかりもない土地じゃ、物語があるとは限らないですよね。
そうなんです。
僕がもし、違うところで違うお店をやるってなった時には、僕はそこにある物語から着想して、組み立てていくと思います。
無理に自分の頭で思い描いたデザインを当てはめることはしないで。
おじいさんが董品屋をやっていた時から、やっぱりいろんな人が社交場として使ってた感じだったんですか。
そうだったみたいですね。
「職人館」の北澤さんも、当時役場に勤められてて、骨董がやっぱり好きで。
小林多津衛さんと、よくお茶飲みにきてたんです。
望月の民芸館の?
多津衛さんも来てたんですか!
そうなんです。
多津衛先生は、うちのじいちゃんの師匠でもあるから、たぶん、随分影響は受けてたと思うんですけど。
そういう人たちとか、当時は町長もされていた吉川徹さんとかもいらしていたようです。
吉川さんと北澤さんで「吉北コンビ」って呼ばれてたって聞いたことあります。
そうそうそう。
骨董屋で、そういう、おじいちゃんたちの世代の付き合いが先にあって。
もうすでに物語があった上でカフェを始められたっていうのは、本当に追い風というか、ありがたいことだと思います。
ほんとですね。
物語から想像して空間を作る、っていうのは、具体的にどういうやり方なんですか?
僕の特徴としてあると思ってるのは、無理に探さないんですよ。
椅子とかテーブルとか、調度品もそうだけど、先にイメージがあってそれに合ったものを探すんじゃなく、たまたま巡り合ったものに対して、この子は一体どこにあるのが落ち着くんだろうってことを考えて。
そこには収まらないものに関しては、値段をつけて旅に出しちゃうんですけど。
その場にたまたまやってきた物を使う。
そう、出会いでね。
たとえば引き上げてきた椅子とかテーブルとか机とか、ここに収まりそうだなと思ったものを一番引き立つ場所に配置するっていうか。
それって、物販の物もみんなそうなんですよね。
YUSHI CAFEの店内で売ってる物のことですね。
僕が自分で選んだ物を置いてるんじゃないんですよ。
「セレクトショップ」の真逆。
「セレクトしないショップ」です。
ぶはははは!
それは来るもの拒まず、みたいなことですか。
ある意味では、そうですね。
もちろん望月の原料を使ったものとか、望月の人が加工したものとかっていう、ある程度のエリアの制限はあるんですけど、YUSHI CAFEで使ってるものも含めて、僕から「これを取り扱わせてください」って言ったことはなくて。
「ここに置かせてほしい」って言ってくださった人たちの物を、置かせていただいてます。
で、それが素敵に見えるように配置してるだけなんですよ。
ここは町の舞台だから。
僕は、みんなが演じられる場所を用意する役目だと思ってるんです。
面白いなあ。
僕も、自分でも面白いなと思ってて。次は何がくるんだろうなと。
スコーンがあって、クッキーがあって、その横に納豆があるなんて店、あんまりないでしょ?
最高だなと思って。
最高ですね!
なんかこう、統一したコンセプトで全部そこに合わせるんじゃなくて、いろんなものを寄せ集めて、繋ぎ合わせてるような感じなんですね。
そう。
寄せ集めなんだけど、でも、世界としてはおかしくないように、整えていくっていうのが僕の仕事。
入口に置いてあるチラシやDMも、これはいい、これはダメだとかの選別は、一切してないんですよ。
ほんとだ!
結構カオスですね。
そうなんです。
排除して白黒つけるんじゃなくて、和合していきたい。
そういえば、ユウシさんの、このカウンターでの役割ってのも、積極的に場を作っていくっていうよりは、邪魔にならないように一歩引いてる感じに見えますね。
そうそうそう。
それぞれ一人ひとりが主役になって、心地よくいられるように。
僕がいる意味はそれだけ。
でもそれって、結構難しいんでしょうね。
普通、自分のお店を出すと、自分の色を出したいと思うじゃないですか。
そうですね、自分の色は、多分出してないかもしれないね。
たとえば僕は、お店に絵とか写真とか飾ってないんですよ。
あ、ほんとだ!
それは、自分の趣味とか出ちゃうじゃないですか。
自分の色を出すと、それに合う人と、合わない人がはっきりしちゃうから。
音楽もね、いろいろ、ロックだって好きなんですけど、ここに合わないものは一切流さない。
あんまり主張しすぎないBGMで。
聞こえてくるときがあれば聞こえるし、話してる時とか、他のことに集中してる時には全く気にならない、そんなような感じで。
情報を出さない”価値”
ユウシさんは、お店のことや自分のことを、インスタグラムとかで発信したりは、しようと思わないんですか?僕ね、お店をはじめた最初の頃は、毎日ブログを書いてたんですよ。
写真1枚と、ちょっとした言葉だけを。
当時は、ホームページを作る仕事してたんですもんね。
お店の広告を刷ってチラシを配るとかよりも、ブログの方が、自分の感性とか感覚を表現しやすいから、向いてるなと思ってやったんです。
そうすると、それを見た人が来てくれたりもして、たしかにそういう効果もあるなと思いました。
はい、はい。
ところがね、
みんながスマホ持つようになって、みんなが写真撮ってのせてくれるようになったら、僕が発信する必要もないなって思ったんですよ。
お店の看板も最初、畳1つ分くらいの大きさの看板をつけてたんだけど、それも取っちゃって。
看板もなくしちゃったんですか。
それも引き算の考え方で、どんどん引いていくんですね。
そう、むしろ逆に、情報を出さない、制限していくことの方が価値が出てくるんじゃないかなと思って。
写真とかは自由に撮っていただいて、僕からは何も発信しないっていうことにしたんですね。
口コミとか紹介をきっかけに、このお店と出会うのも1つの物語の始まりだから、そういう出会い方も大事にできたらいいなと思って。
なんかでも、ユウシさん自身が、YUSHI CAFEについての思いとかを発信をしたら、それは結構、聞きたいっていう人がいると思うんですけれども。
僕が「これは赤なんですよ」って言ったら、赤になっちゃうじゃないですか。
みんなが来て、自分で何かを感じ取ってもらったら、そっちの方が面白いと思うんですよね。
僕にとってはね、来てくださるお客様が主役なので、何かこう、僕にスポットが当たるようなことは極力控える。
だから、僕が語る必要ってないんですよね。
・・とか言って、今日はこんなに語っちゃってますけど。
いや、そうですよね!
こんなに話してもらってよかったのかなって、今、思いました。
取材みたいなものは、いっさい受けないことにしてるんですけど、あっきーさんとは信頼関係があるし、普通の取材とは違う形でYUSHI CAFEのことを整理してくれると思うので。
ありがとうございます。
そう言ってもらって、すごく嬉しいです。
足元に宝がある
YUSHI CAFEは、これだけ長く続けてても、まだ変わっていく余地はあるんですか?あります。
僕にとっては今、ステージが10あるうちの、ステージ1の途中なんですよ。
え?
まだステージ1が終わってない。
そう、YUSHI CAFEの完成っていうのがステージ1で、そこがまだです。
YUSHI CAFEの完成ってのは、どういう状態のことなんですか?
それはね、たとえば小屋を建てるとか、駐車場を整備するとか、物理的な部分もあるんですけど、内部的な仕組みのほうが大きいかもしれない。
内部的な仕組み。
僕がいなくても、YUSHI CAFEという世界をちゃんと継続して、維持して、持続可能な発展ができるような環境。
みんなの幸せとか、物質的、精神的な豊かさが増幅していくようなデザインとか、仕組みができれば、それが完成になるかなと。
そこでやっと、ステージ1クリアなんですね。
その後のステージは、どうなっていくんですか?
その次は、町に広げていきたい。
町の清掃活動をしていくのも、商店街を形成していくのもそうだし、気持ちのいい場所をどんどん作っていきたいなと思って。
僕の最初の構想は、もっといろんなお店を僕が作って経営していくつもりだったんですけど、その才覚がなかったもんだから、一店舗だけでいっぱいいっぱいで、ここまできたんですよ。
そんな中で、この町でやりたいっていう人たちが、他にもたくさん現れたから、そういう人たちと協力しながら。
そうか、ユウシさん自身がやらずとも、他の人と一緒にできればいいんですね。
そうそう。
この周りにも、たとえば「グースケ」さんや「OK bread」さんみたいに、自発的、主体的にやっているプレイヤーが集まってきた。
べつに僕が特別何かをしたっていうことはないんですけど、そういう人たちが協力しながら町を形成していっている。
結果的には、僕一人が全部やるよりも、それでよかったなと思ってます。
そうですね、同じ人が2店舗、3店舗と作るよりも、違う人がやった方が、バラエティーが広がって面白い気がします。
絶対そう思いますよね。
もし仮に、YUSHI CAFEがなくなったとしても、町としての魅力は残っているから、再生できる。
窓口が色々あったほうが面白いなと思って。
1つの大きな会社がその町を作ってしまうと、その会社によっては、街の魅力が衰退したり、もしくはダメになっちゃう可能性だってあるだろうから、やっぱり小規模自立っていうのは大事だなと思いましたね。
もし望月で、理想の町とか暮らしの仕組みが成功できたら、多分、他の地方農村とか地域でも同じことができるんじゃないかなって思ってるんですよ。
最終的には僕は、他の地域にYUSHICAFEを作るんじゃなくて、同じようなことを別の場所でやりたいっていう思いのある人たちに、自分がやってきたことを最大限伝えたいって思ってるんです。
伝えるのは、ノウハウっていうよりも、志みたいなことですよね。
そのマインドさえあれば、別の土地で、条件が違っても同じことができるっていう。
そうそう。
で、僕は、足元にあるものを活かしていきたい。
今周りにあるものと、今いる人たちとできる最高に素敵なことをやっていきたい、っていうのがあるんですよね。
スコーンを作るときは、この地域で作った小麦を使ったり、今日リンゴが届けばそれがアップルパイになったり。
今あるものでやる、っていうのはそういうことで、無理はしないんですよ。
なるほど。
今あるものでやる。
「足元に常に宝がある」ってことは、職人館の北澤さんが教えてくださったんですけど、常に、今あるもので、今いる人たちとできる、最高に素敵なことをやっていくっていうことで。
それは多分、他の地域でも、同じことができると思うんですよね。
その土地土地で、取れる農産物とか、そこにいる人たちにできる仕事は違っても、そこで独自性のあるものがきっとできるんじゃないかなと思います。
そうですね。
チェーン店みたいに、どこの場所に行っても同じっていうんじゃ、面白くないです。
生産物とかも、数に限界はあるけど、そこでしか得られない味とか提案になる、っていうのはあると思うんですよね。
僕もね、最初は、インターネットでオンライン販売とかしようかと思ったんですけど、ダメなんですよ。
採れる作物の量に限界があるじゃないですか。
だから、ここに来てもらって、ある分だけを楽しんでもらう。
そうか。
今ある分で作れるだけのものを作って、それで終わり、っていう。
このお店に置いてるものも、地元の生産者さんが地元の食材を使って加工したものなんですけど、みんな、数量に限界があるんです。
やっぱりそれは、ここに来て楽しんでもらうっていうことが大事なのかなと思って。
そうするとね、作ってくれた農家さんや生産者さんたちとも繋がっていったり。
そうですね。
オンラインじゃなくて、実際にここに来ることで感じられるものや、生まれる繋がりはすごくあると思います。
ユウシさんは、カフェのカウンターに立つっていうこと自体は、始めた時は好きだなっていうのはあったんですか。
うーん・・
始めたときから、立ってここでコーヒーを淹れるっていうのは、好きか嫌いかって言ったら、普通。
(笑)普通。
もちろん、それも楽しい時間ですよ。
でも、どっちかって言えば、僕はなんか、世界を作っていく方が好きで。
ここに立つのに向いている人がいれば、違う人が立っても、僕は別になんとも思わない。
そうか。
でも、ここにユウシさんが立っている、っていうこと自体が大きい気もしますけど。
いつ来てもユウシさんがいる安心感というか。
うん、そうなんです。
第1段階はね、多分僕もそれが大事だと思ってるんですよ。
でもね、いつかは僕も限界がきて、この世からいなくなるじゃないですか。
それを思った時に、ディズニーランドにはウォルト・ディズニーさんっていないでしょう。
はい、はい。
銅像は立ってるんですけど、ときどき写真を撮ってる人はいても、基本、誰も気にしてない。
でもその、彼の作り出した世界に、みんな行ってるわけじゃないですか。
それで、みんなを幸せにできるっていうのは、これは、すごい次元の世界だなと思ったんですよ。
そうですね。
本当にすごい会社って、社長が誰とか関係なく、みんながそのブランドを認知してるから、世間の人はトップの人を知らないですよね。
逆に、まだ成長途中のところって、社長の顔はよく知られてるけど、その人がいなくなったら変わっちゃう。
ほんとにその通りで。
僕は、今はまだまだの段階だなって、自分では思ってるんですよね。
だから、ゆくゆくは、僕は少しずつフェードアウトしていきながら、ここに僕がいない状態でも、作った世界を求めてみんなが来てくれるようなところにしていきたいなと思ってます。
なかなか、まだまだ、全然そこまで行かないんですけど。
でもすでに、ここに来てるお客さんは、ユウシさんにも会いに来てますけど、他のお客さんとの会話も楽しみに来てると思うので、そういう意味では、この場所自体が、もう目的になってますよね。
そうなっていたとしたら、すごい嬉しいなと思います、本当に。
事実ね、僕がいなくても、スタッフのみんなが空間を守ってくれたりとかして、本当に成り立ってはいるんですよね。
ただ、それを、もっともっとクオリティを高めていって、仕組み化していきながら、僕がいなくても、世界として自立していってもらいたいなと思いますね。
ちょっと、ニュアンスがうまく伝えられないですけど。
いや、よくわかります。
でも、思うんですけど。
ユウシさんがいなくなってもYUSHI CAFEが回るようになったとして、ユウシさん、ここからいなくなることなんてできるんですかね。
そうですね、それが一番難しいことかもしれない(笑)。
いつまでもずっと「YUSHI CAFE劇場」に立っていたいですよね。
立たせてほしい。
でもね、僕はもっともっと、幸せの輪を広げていけるような仕組みにしていかなくちゃいけないと思ってるから。
それは、ここに立ちながら、デザインしていきたいなと思ってます。
(2024年9月 佐久市望月「YUSHI CAFE」にて)
【清水宣晶からの紹介】
YUSHI CAFEの店内は、本当に魔法のような空間だ。
20年間通っている常連さんも初めて来た人も、地元の人も遠くから訪れる人も、みんなが同じように楽しい時間を過ごして、それぞれ違う自分だけの驚きや笑いや思い出を持って帰る。
YUSHI CAFEは、ユウシさんの人柄と、先祖代々が住んだ家の物語、そして自然豊かで美しい望月という町、それらすべての絶妙なバランスの上に成り立ったお店で、こんなお店が生まれたこと自体が奇跡的なことだと、僕はいつも感動してしまう。
ユウシさんがその昔、ギタリストとして音楽活動をしていたという話は、びっくりしたけれども、同時にものすごく納得もいった。ユウシさんの根底に流れるのはアーティストの魂で、そのセンスを思う存分に発揮できる、最高の舞台をカフェという場所に見つけ出してしまったのだと思う。
YUSHI CAFEのカウンターを舞台に日々繰り広げられる「ユ-シカフェ劇場」は、どんな映画や演劇でも再現ができない、至高のライブパフォーマンスだ。
ユウシさんは、演者の長所を最大限に引き出す総合プロデューサーでもあり、その舞台を最前列の特等席から眺める観客でもある。
これほど面白い役割がこの世にあるだろうか。
ユウシさんについて、一番すごいと思うのは、お店の扉を開けると、(ほぼ)必ずそこにユウシさんが立っていることだ。
ただそれだけのことなのだけれど、誰にでもできることではない。
それを地道に20年以上続けられていることこそが、ユウシさんの本当のすごさなのだと思う。
YUSHI CAFEの店内は、本当に魔法のような空間だ。
20年間通っている常連さんも初めて来た人も、地元の人も遠くから訪れる人も、みんなが同じように楽しい時間を過ごして、それぞれ違う自分だけの驚きや笑いや思い出を持って帰る。
YUSHI CAFEは、ユウシさんの人柄と、先祖代々が住んだ家の物語、そして自然豊かで美しい望月という町、それらすべての絶妙なバランスの上に成り立ったお店で、こんなお店が生まれたこと自体が奇跡的なことだと、僕はいつも感動してしまう。
ユウシさんがその昔、ギタリストとして音楽活動をしていたという話は、びっくりしたけれども、同時にものすごく納得もいった。ユウシさんの根底に流れるのはアーティストの魂で、そのセンスを思う存分に発揮できる、最高の舞台をカフェという場所に見つけ出してしまったのだと思う。
YUSHI CAFEのカウンターを舞台に日々繰り広げられる「ユ-シカフェ劇場」は、どんな映画や演劇でも再現ができない、至高のライブパフォーマンスだ。
ユウシさんは、演者の長所を最大限に引き出す総合プロデューサーでもあり、その舞台を最前列の特等席から眺める観客でもある。
これほど面白い役割がこの世にあるだろうか。
ユウシさんについて、一番すごいと思うのは、お店の扉を開けると、(ほぼ)必ずそこにユウシさんが立っていることだ。
ただそれだけのことなのだけれど、誰にでもできることではない。
それを地道に20年以上続けられていることこそが、ユウシさんの本当のすごさなのだと思う。