大槻美菜


好きなお笑い:ラーメンズ
好きな脚本家:三谷幸喜
好きな踊り:ジャズ、ロック
好きな演者:戸田恵子、市村正親、浅野和之、八島智人、堀内敬子
好きな作家:山崎豊子、宮部みゆき、東野圭吾
好きな言葉:思い立ったが吉日、鉄は熱いうちに打て、一期一会
好きなもの:白い紙、水族館
好きな瞬間:気の置けない仲間と何かの企画を真剣に話している時
※このページの内容は以前に聞いたお話しです。
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一期一会の感動

(:) みな、この前、
ラーメンズのライブ、すごく行きたがってたじゃない。
ああいうのって、やっぱり、ライブで観たいもの?

(大槻美菜:) やっぱり、ライブで観たい!

オレは、そこにそれほどこだわりなくてさ。
舞台とかは、DVDが出るんだったら、それで観るんでもいいかなー、
と思っちゃう。

だって、DVDに収録されてないアドリブとか結構あるし。

(笑)そういうのはあるよな。
観る立場じゃなくて、自分が作る立場だった時はどう?

前に、紘一(吉村紘一)と話していて、私と目指している種類が違うと思ったことがあるんだけど。
彼は、自分が作ったものが、その後長く残っていくことに価値を感じていて。
みんなの心とか生活に深く入りこんで、ずっと長く息づくということが彼にとっては嬉しいことなわけ。

そうだよね。
うん、紘一がそう思うだろう、ってのはわかるな。

でも私は、一瞬だけで終了、っていうのでもいい。
だけど、その、一度しか出会えない、起こりえない、
っていうところにモチベーションがある。

一期一会の、その瞬間が大事なんだな。

そう。
舞台ってさ、たった2時間とか、それぐらいのために
半年とか1年かけて準備するわけじゃない。
「これだけやって、たった2時間?」って思うかもしれないけど、
私はそれでいいんだよね。
それが、すごい幸せなの。

たとえば、ミュージシャンの人でも、
ライブでの発表がメインの人と、CDでの発表がメインの人がいるじゃない。
オレは、それでいうとCDのほうのタイプでさ。
一つのものを徹底的に作りこむってことに、燃えるんだよ。

うんうん。

一方、ライブのよさもわかって。
その場にいなきゃ伝わらないものっていうのもあると思うんだよね。
みながライブに求めているものって、そういう部分なのかな?

なんだろうね。
なんか、「人間らしさ」っていうことかもしれないね。
予想外とか、予想を超えたものとかが、大好きなんだよね。
予想を裏切られるっていうのは、プラスの時もマイナスの時もあるんだけど、
そういうのを全部ひっくるめて、それを逆手に取ってやりきった時の自分がすごく好き。

それは、わかるなあ。
そういうのって、一度味わったらやめられない楽しさだと思うよ。

想定出来ないことがあるっていうことまでを想定して、
次々に起こる事態に対応したり、逆手に取ってひっくり返したり。
そこまで含めて、プロっぽいっていうか。
普通だったら、お手上げ!ってなっちゃうところで、
諦めないっていうことに、私は燃えるんだよね。

逆境に燃えるんだ?
それは根性あるなあ。

逆境がひっくり返って、どんでん返しがある時って、
奇跡的な結果が生まれたりするのよ。

それさ、
色々と予想外のことは起こるにしても、
当日までの事前の準備は、ちゃんとやっておくってことなんだよね?

完璧にやっておく。
準備しないで、予想外のことが起こるなんて当たり前で。
だけど、完璧に準備した時に、予想外のことが起こった時って、
奇跡的な大逆転のチャンスになりえる。
なんか、抽象的でわかりにくいかもなんだけど。

すごくわかるよ。
もうこれ以上は準備出来ない、っていうところまでやり切った後に起きたことって、全部が経験になるんだよな。

あとね、これは単に好みの問題だと思うんだけど、
私自身のことを振りかえってみた時、
転機とか、自分の心に突き刺さっているものとか、影響を与えたものが、
出来上がっているものより、一期一会のシチュエーションのほうが多かった、っていうこともあるんだと思う。

自分も、そういう環境を提供したいっていうこと?

そうそう。
CDとかでは、自分の人生を変えられたっていうのはなくて。
誰かと話しをしたとか、イベントとか会議で誰かが言ったことや、起こしたアクシデントとか、リアルタイムで起こったことのほうが、自分の人生を変えていることが多いのよ。
そういう一個一個で気づきを得たりとか、自分の人生が変わってきているから、そういう場を提供するっていうのは嬉しいの。

そうだよな。
やっぱり、自分の人生に大きく影響を与えることって、
自分が想定してなかったものであることが多いよね。
計画通りに進んでるときって、自分の頭で考えてることだから、
そんなに今の場所から遠くに飛ばないと思うんだよ。

うんうん。
なんか、人間らしいっていう感じなんだよな。
本当にいいライブや芝居を観て、自分が最大限まで感動した時の感想って、
「人間っていいな」っていうことなのね。

「まんが日本昔ばなし」!?
なんか、いとしい気持ちになるの?

そう、人間ってかわいいなー、みたいな。
それは、芝居の中身にも関係することもあるし、その向こう側にいる役者の熱意とか熱気とか、それを支えているスタッフの人たちの思いとか、
それを体いっぱいで感じようとしている会場の空気とか、
色んなものを感じて、「あー、人間っていいな」って。
一番感動すると、そこの境地になるわけ。
それが、自分の中で大きいんだよね。

繰り返しの面白さ

ライブってさ、たとえば演劇みたいなものは、
録画とは違って、同じことを何回も続けてやるでしょう。
その面白さもある?

私が今までやってきた舞台だと、
だいたい、一日の中に昼の部と夜の部っていうのがあって、
昼の部と夜の部は、まったく違う方向性になるんだよね。

最初からそういう風に考えてるの?

考えてないんだけど、必然的に変わってしまって、
違うものが出来る。

観客のノリでも、だいぶ変わるだろうしね。

ビデオに撮るには昼の部のほうが断然いいんだけど、
でも、感動度の高さでいうと、絶対に夜の部なの。

それはわかるな。
完成度では昼で、
感動度では夜、ってことだよね。

そうそう。
だから、映像で観ると、昼のほうが全然キレイなんだけど、
心に残ってるのは、夜の部なんだよね。
お客さんも、夜のほうが盛り上がるわけよ。
でも、どっちも面白いんだけどね。

みな、芝居のビデオを何回も観たりするじゃない。
それも、好きなの?

好きだね。
観るたんびに、違う気づきがある。
ホント、何十回も観る。

そっちはさ、言ってみれば、ライブと真逆なわけじゃない。
ライブのほうは、何があるかわからない一方で、
DVDは、二回目以降はわかりきっているわけでしょう。

わかりきってないよ。

えぇ!?

だって、隅々まで見切れてないもん。
「あ、ここでポケットに手突っ込んでた!」とか、
そういうところを見てるんだもん。

ぶははははは!
なるほどなあ。

今、視線こっちに飛ばしたのは何でだろう、とか、
台を動かしたのはどうして?とか。

いや、それスゴいわ。

色んなところに散りばめられた、
それを成り立たせている、細かいものを隅から隅まで見るの好き。
だから、マンガとかも読むのすごい時間かかる。
よく、コマの脇にちょびっと書かれた、おまけみたいのがあるじゃない。

あるある!

ああいうのも、全部読まないと気が済まない。
全部見ていくのが、好き。

じゃあ、DVDを何回も観る時も、
その都度ちゃんと観てるんだ?

結構観てるよ。

マジで!?

さすがに20回目とかになってきたり、
あと、その日のテンションとかで、流し見することもあるけど、
基本的にはじっくり観てる。
5回目ぐらいまでは、まだ新鮮なのよ。
それ以降は、おおむねわかってるけど、
その上で細かいところを拾っていくっていう感じになるね。

そこまで楽しんでくれたら、作るほうも本望だな。

三谷幸喜とか、ラーメンズって、
お客さんにバラさない小ネタが結構仕込まれてたりするわけ。
しかも、三谷幸喜の芝居のDVDって、トーク入りのがあるじゃない?

「マトリョーシカ」とか、
副音声に解説が入ってるの、あるよね。

あれを聴くと、なお面白い。
なんでもない小道具だと思ってたのが、
過去の作品と関係あったりするわけ。

それは、作品にそれだけの奥行きがないとだよね。
ちゃんと作り込まれたものじゃないと、
そこまでは色々出てこないんじゃないかな。

そうそう。
やっぱり、そこまで観るのは三谷幸喜とラーメンズしかないけどね。
中でも、何十回も繰り返し観るのは
「十二人の優しい日本人」と「ラヂヲの時間」で。
これはね、役者のプロフェッショナル度合いだと思う。

プロフェッショナル度合い?

特に私が好きなのは、
普段の映画だと脇役級の人がズラっと揃っているようなのが好きなの。

脇役級が?
それ、面白いな!

脇役級の人のほうが、遥かに演技が上手い人が多い。
もちろん、主役級の人でも、上手い人はいるんだけれど。

それでいくと、「有頂天ホテル」みたいなのは、
主役級の人達が多すぎて、豪華すぎちゃうのかな。

脇役級の人は、
主役級で生き残れない以上、はるかに自分の打ち出し方とか
魅力の引き出し方とか、研究している気がするの。
味があるし、役に対しての彫り方も深いし。
そういうところがはっきり色濃く表現されているほうが、
私は好きなんだよね。

かなり玄人の見方だな、それ(笑)。
でも、それぐらいに熱狂的なファンがつくっていうのは、
やっぱり作品や役者にそれだけの深みがある作品なんだろうな。

言葉と感情

自分の気持ちや、考えていることを
言葉にするのって難しいよね。

そうだね。

私、普通の人よりは、言葉ってものを好きなほうだと思うのね。
言葉とか字っていうものに愛着もあるんだけど、
好きだと思えば思うほど、心の中と言葉の乖離を感じる。

オレは、言葉にするのってすごく重要なことだと思っていて。
言葉に出来ないものというのは、まだ自分で分かってないことだと思うんだよ。
言葉にするのが難しいことってのは色々あるけれど、
それを、自分が可能なところまで言葉にすることで気づくことってあると思うな。

たしかに、たしかに。
言葉と感情って、どっちが先なんだろうと思うことあるのね。
言葉を知らないものって、そもそも感情が生まれない、って思うことがあるの。

おお!
というと?

たとえば、「悲しい」っていう言葉を知らない時って、
悲しいっていう感情を自分でキャッチするのって難しいことだと思うの。
だから、自分が言葉を知らない感性って、自分の中では育ちにくいと思うのね。
で、一方で、感情ってすごく曖昧だし、フワフワしていて。
思ってることを言葉にするのって、カテゴライズする作業じゃない。
だいたい、このぐらいのことだったらこういう言葉、とかって、削ぎ落としたり、四捨五入したり。
感情があるから言葉があるのか、言葉があるから感情があるのか、ってすごく考える。

それは面白い話しだなあ。
言葉なんていうものの前に、人間の性質として感情がある、
と考えるのが自然だとは思うんだけど、
オレは、言葉のほうが先なんだと思うな。

日本語と英語で比べた時、英語って比較的大雑把じゃない。
それは単に、日本語が母国語で、英語をあんまり知らないからそう思うのかもしれないけど。

(笑)どうなんだろうな。
オレも英語のネイティブじゃないから、2つをちゃんと比べられないけど。
でも、微妙な感情を表現するには、日本語のほうが語彙が多い気がする。

たとえば、「わらう」っていう言葉に対しても、そのニュアンスによって、色んな漢字や表現があるじゃない。
それを思った時に、日本語よりももっと感性豊かな言語があったら、
私が知ってるどの「わらう」にあてはまらない、新しい「わらう」があるかも知れなくて。
で、それを知らないということは、その感情が存在しなかったことにして、切り落としているってことなんだよね。
ざっくり「わらう」っていう言葉で表現してしまう、っていう。
そうすることで、自分の感性がサボる気がする。

わかるなあ。
もっと細かいところまで突き詰められるはずなのに、って思うよ。
円周率を「3.14」とせずに、「3」ってまとめちゃうのと一緒だよね。

そうそう。
小数点の部分はどうしちゃったの?みたいな。
そこを捨てちゃっていいのか、って思うんだよね。
で、捨て始めると、それを無いものとして考え出すじゃん。
脳ってすごく慣性の法則が働くと思うから、それに慣れると、
小数点を感じるべきところで、切り捨ててしまうと思うのね。
そうすると、慣性が鈍る気がする。

さっきの、「わらう」というのも、
自分の中に「笑う」という言葉しかないと、
文章を書く時には自動的にそれになって、もう、考える余地はないんだよね。
でも、5~6種類の「わらう」が自分の中にあった場合、どれが一番正確な表現か、ということを考えるようになる。

そう、この、感情と言葉どっちが先かっていう問題は、
結局どっちか、私の中では答えは出てないんだけどね。
なんか、小さい頃から、そういう答えのないことを考えてるうち、
煮詰まって死んじゃいたくなることよくあった。

えぇ?
なんで死んじゃいたくなるの?

映画でさ、ある人の人生を、
テレビ番組の中でみんなで眺めてる、みたいなのがあったじゃない。

『トゥルーマンショー』かな。

それそれ!
私、世の中、本当にああなんじゃないかと思ってたの。
要するに、自分から見えているものしか、存在しないんじゃないかと。
周りの人たちも全部私が作ったもので、どこまでが本物かわからないんだけど、
死んだらそういう答えがわかるんじゃないか、とか思っちゃうわけよ。

ものすごく哲学的な問いだなあ。

考えすぎると、生きていけないな、とか思ったりする。
宇宙が膨張してるっていうけど、その膨張してる向こう側には何があるのか、とか。
ぐるぐる、ぐるぐる自分の尻尾を追いかけてる感じで、
そういうこと考えると呼吸困難みたいになっちゃう。
でも、私にとっては、そういうことが、すごく興味深い問題。
(2009年4月 代々木「金魚カフェ」にて)


清水宣晶からの紹介】
美菜には、何をテーマに聞いても、尽きることなく次々と面白い話しが出てくる。聞き手として、これほど話しを聞きやすい相手はいない。
話しをしていて気持ちいいのは、物事の好き嫌いがとてもはっきりしているからで、しかも、自分が好きなことや、大切と思うことについて、ひとつひとつおろそかにせずに、時間をかけて取り組んできたことが、よく伝わってくるからだ。(2009年4月)

美菜は「結婚パーティーの幹事をやること」がライフワークなんじゃないかというぐらいに、たくさんの友人のパーティーを企画してきた人で、僕も、結婚式の時には、とてもお世話になった。

彼女自身の結婚パーティーも、大がかりな仕掛け満載の印象深いもので、「どうやってその場にいる人を楽しませよう」と考えることに無上の楽しさを感じるところは、単なる表現者という枠にとどまらない、根っからのエンタテイナーなのだと思う。

舞台や、場を演出するということにかけては、誰よりも豊富な経験とアイデアを持っていて、その熱意に巻き込まれた観客や周りの人々に、楽しい気持ちが伝播していく様子を、僕は何度も見てきた。
それは、美菜が、心の内側と対話をして、目には見えないもののことをずっと考え続けてきたことの、ひとつの成果なのだろうと、僕は思っている。(2013年7月)

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