吉村紘一
広告会社でマーケッター、コピーライターとして、企業や商品のブランディングを数多く担当。2011年に独立し、現在は京都を拠点に「自然の造形美」をテーマにしたプロダクトブランドやショップを展開している。 2013年6月6日(木)から7月6日(土)まで、東京・蔵前の「gallery kissa」にて、植物をアクリル封入したプロダクトブランド、宙 -sola- による初の作品展「自然の造形美展~Nature Art Exhibition~」を開催中。 https://gallerykissa.jp/2013/06/1481 ■「宙 ‒sola‒」 http://www.solacube.net ■「ウサギノネドコ」 http://usaginonedoko.jp/ ■「旅する小惑星」 https://www.facebook.com/brightsegment/?locale=ja_JP |
(2008年4月 渋谷の焼鳥屋にて)
自然の美しさ
(清水宣晶:) オレは、「宙(SOLA)」を見た時、
本当にいいセンスしてるなって思ったな。
(吉村紘一:) ほんとに?!
それ、すごく嬉しいよ。
宙(SOLA) http://www.solatoy.jp/
紘一は、
物を創りたいっていう欲求は常に自分の中にある?
物を創りたいっていう欲求はずっとあったんだけど、
自分が一生かけて何を作るべきかってことをずっと考えててさ。
自分自身のクリエイティビティーを、
何かに向けて発信することが、
自分の生きている証だって思ったんだけど。
うんうん。
でも、自然の美しさに出会った時に愕然としてしまって。
「これにはかなわねぇな」って思ったのと同時に、
「これしかない」っていう確信を感じたんだよね。
なるほど!
で、自分のエゴを表現するんじゃなくて、
自然に抗わずに受け入れた時に出来る調和っていうものが、
ここにあるって思ったんだよ。
それ、よくわかるよ。
「宙」がセンスいいって思ったところはさ、
オレも自然の物ってすごく美しいと思うんだけど、
それって、美しくなろうということを
目的にしてないからだと思うんだよ。
人間が美しくデザインをしようとしたものって、
結局、そこが目的になってしまうじゃない。
そうなんだよね!まさにそうで。
自然の美しさって、純粋に、
生きることを目的としているところなんだよね。
そこに作為的なものがなくて、裏がない。
究極の機能美。
アートの世界でもそうだと思うんだけど。
アーティストが、「オレを見てくれ」って作ってるものって、
何て言うか作品として限界があると思ってて。
弱いんだよね。
弱いし、うるさいし、くどい。
絵画にしても彫刻にしても音楽にしても、
本当の無心になって、降りてきた状態で創ったものって、
そこを突き抜けるから、出来るもののレベルが全然違うと思うんだよ。
なるほどなるほど。
無心ということもあるし、
無私の気持ちから生まれたものだよな。
俺がもし、
自分が自分の存在意義を世の中に刻むためだけに創るんだとしたら、
それってすごくショボいものになる気がしてて。
それだったら、もっと大きな流れに身をまかせて、
クリエイティブをしたほうが上手くいくなと思って。
そう思った時に、色々と上手く進み出したんだよね。
自分が執着を捨てた時に、色んな人が集まって、勝手に動きだした感じ。
それってすごく面白い現象だなって思ったんだよね。
必要なものしか来ない
紘一は、来たものは何でもやってみる性格なんじゃない?
わりと、そうだね。
新興宗教の勧誘を受けてもさ。
普通の人なら話しを聞いてあやしいな、って思うものでも、
とりあえず一回行ってみようと思うんだよね。
一回行って、一回入ってみる。
一回入ってみる!(笑)
精神の根本は変わらないっていう確信があるから。
死ななきゃいいだろうっていう感じはあるんだよね。
オレはそれ、あんまり自信なくて。
普通に話しを聞くぐらいならいいんだけどさ。
人間の脳とか精神って、薬みたいな化学物質でも影響受けるから、
物理的にそういう状態を作りだされたら、
どこまで自分が自分でいられるかって自信ないな。
なるほどね。
大丈夫そう?
そこはね、
なんか大丈夫そうな気がしてて。
ほんと!?
なんでそう思うかっていうと、
今まで出会ったものが、結果的にいいものだったっていう
確信があるからかもしれないんだけどね。
変なものに出会わずに、本物に出会ってきたって気がするんだよね。
うんうん。
起こる出来事はすべて自分が引き寄せてると思うわけ。
一切の出来事は、自分の意思以外では起きてない、という思いがあって。
てことは、自分は絶対本物としか出会わないと規定した時に、
そういうものとしか出会わないようになってると思う。
もし、あやしいものとか変なものに出会ったとしたら、
そういうものを体験してみたい自分がいるんだよね。
なるほど、
そういうことか。
あっきーも、
外国でだまされてひどい目に遭った体験があったじゃない?
それは、だまされるっていう体験を一回してみたいってことを、
どこかで求めてたんじゃないかと思うわけ。
たしかに、そうかも!
それも含めて、自分が選んでるもの以外はこないから、
変なものは来ないだろうっていう確信がある。
変なものが来た時には断るだろうってこと?
まあ、、断るだろうし。
そもそも来ない。
そもそも来ない!(笑)
まあ、断るっていう体験をしたいんだったら来るかもなんだけど。
今、生き急いでるからさ、
余計なものは来ないって気がするんだよ。
たとえば、
「覚せい剤、超いいから、紘一もやろうぜ」とかあったら、
どうなんだろうね。
あー、、どうだろうな。
覚せい剤も必ずしも悪いものっていう風にも思わないけど。
自分以外の、物に頼って生きるのが問題なんだと思うんだよね。
で、そういうのは俺はすごく好きじゃないから・・
選ばないし、来ない。
ぶはははは!
そのさ、「選ばない」ってのはわかるんだけどさ、
「来ない」ってのがどういうことなのかと思うんだよね。
なんかね、なんかわかんないんだけど確信があるんだよ。
来たとしてもスルーしちゃうっていう。
遭わないほうがいいことは来ない。
それは何なんだろうな・・
ポジティブシンキングってことなんだろうかな。
仕事失敗しましたとか、誰かと別れましたとかいう時でも、
たいていそう思う?
これは、必要なことだったんだと。
あー、
なんか100%そう思えるね。
じゃあ逆に、何かを選ばなかったという時でも、
選ばなかったなりに、それで良かったんだと考える?
そうそうそう。
あの時、もし!
あっちを選んでたらどうなってたんだろう、
とかは思わないんだ?
絶対思わない。
過去を後悔することはないね。
そうなんだ!
そう考えるとなんでもアリになってくるね。
オレも基本的には同じ考え方なんだけど、
そう考えると、自分の選択の意味って何なんだろうね。
AとBっていう二つの選択肢があった時、
どっちでもいいんだとしたら。
選択した瞬間、それが正解っていう感じがするんだよね。
人は、体験したいことを、
次々と選んでいるんじゃないかって気がする。
たとえばさ、
休日を朝から一日寝て過ごして何にもやらなかった、
「もったいないことしたなー」っていうような時、
それも肯定する?
たいてい肯定するね。
けど、後悔しているとしたら、後悔していることも含めて肯定する。
自分がうじうじしてることも、いいことだと思う。
それを見ている別の自分もまたいるんだよね。
30cmくらい後ろから見てる自分が、
悩んでることも含めて「それもいいじゃん」と。
わかるなあ、その感覚。
すごく共感するよ。
人にゆだねること
オレが紘一を見ていて、いいなって思うのは、あんまり自分を前面に出さないことなんだよ。
結構、周りを気にしちゃうからかもしんない。
たとえば、飲み会とかやってそこに10人くらいいたとすると、
つまんなくしてる人とか、
疎外感を感じてる人がいないかなってことを気にしちゃうんだよね。
そうかそうか。
あと、あんまり自分が前面に出ていくってことを、
美しいこととしないという、
自分の中の思いがあるかもしんない。
その感じ、わかるよ。
それが別に悪いことだからっていうんじゃなくて、
自分を出したりすることはいい事なんだけど。
そこから一歩引くことの美学を感じるのかな。
そこだよなあ。
オレが思ったのはさ。
さっきの自然のこともそうだけど、
いいものってのは自然に伝わるものだから、
やってることが正しければ、自分自身が声を高く上げる必要はない、
という風に紘一は考えてるんじゃないかと思ったんだけど。
そうかもしれない。
でも実は、自分の中には両方の気持ちがあるんだよね。
前に出たいっていう気持ちと、引っ込んでたいっていう気持ち。
そうなんだ?
もともと前に出て行くことは好きなのね。
でも最近はなんか、人のことを引っ張ろうとか、
自分の力で他人に影響を与えるということが、
おこがましいことだっていう意識があって。
もっと人って、それぞれが無限の可能性があって、
それを心の底から信じてまかせるってことが大事なんだって思っててさ。
自分がわざわざ前に立って「みんな行くぞオラ!」みたいな感じにならなくても、
自主的に何かが起こるような流れを信じたいっていう思いがあるんだね。
なるほどなあ。
だから、宙の活動なんかそうなんだけど。
なんとなく自分がボソボソっと言ったことが、
周りがなんとなく汲んでくれて、
上手くいったっていうのが、流れとしてあって。
俺が頼りない感じだから逆にみんなが積極的に考えたり、
行動したりしてくれる(笑)。
宙のプロジェクトは5人でやってるんだけど、
最近は一人一人に深くコミットしたいと思うようになったな。
この人にとって幸せって何だろうってすごく考えるんだよね。
オレにとっての幸せは、宙のプロジェクトが成功することで、
みんながその流れに乗ってくれるのは嬉しいんだけど。
でもそれとは別に、どうやったらその人が、
宙との関わる中で本当に幸せになれるんだろうってことは考えてて。
そう考えると、結果的に上手くいくんだよね。
オレが紘一に興味を持つ一番の理由はそこでさ。
そういう風に考える人は、オレ、とても好きなんだよ。
やっぱりでも、そう考えるまでに何回か痛い目を見たことがあって。
学生の時は、自分ってすごくオラオラだったのね。
人のことすごい詰めたし(笑)。
ぶはははは!
そうだったんだ?
自分に甘い人にすごく厳しかったと思うんだよね。
「何で、俺がこんなに頑張ってるのに、お前はこの程度なんだ」って。
それが出来ない人のことを理解しようとしてなかったんだよね。
そうやって力でそれを押し切ろうとしたときに、
ある時、人がどんどん離れていって。
うんうん。
一番信頼してた人から、ある晩電話がかかってきて、
「もう吉村にはついていけない」って言われた時に、
身に染みてわかったっていうかね。
このやり方じゃ続けていけないなって思って。
なんか、その時からなんだよね。
妙に人のことを気にしちゃうっていうのは。
んー、、そういうことがあったのか。
そういうことがあって、
最初はそういうことで見放されるのがイヤだ、
ってところから始まったんだけど、
だんだんそのやり方が自分の中で身に付いてきたっていうか。
顔色をうかがうっていうよりは、
本当にその人のことを考えた時に、
ことがうまくいくっていうことがわかってきたんだよね。
なんか、それが完璧かわからないんだけど、
少しずつ実践してるって段階かな。
自分がこれをやりたいって言った事についてきてくれた人は全肯定したいし、
その人のことをどこまでいっても信じたいし。
なんか、そういう気持ちはあるかもしれない。
ごめん、なんかどんどん話しがそれていっちゃったけど。
いやいや、大丈夫。
いい話しだよ。
本来はさ、
あんまり人に相談しないで自分でバシバシやっちゃうタイプなんだよね。
だけど、そこの限界を感じてる。
気を抜くと、すぐにそこに戻っちゃうんだけど、
でも、そうなるとあんまり人を信じられてないってことだから、
狭い領域でとどまっちゃうことになる。
宙の活動なんかも、気を抜くと、
自分で全部考えたいって思うっちゃうから、
そうすると動きが止まっちゃう。
人にゆだねるってことをやらないと、
進まない気がする、今は。
(2008年4月 渋谷の焼鳥屋にて)
【清水宣晶からの紹介】
紘一は、話しをしていてとても居心地がいい相手だ。
紘一自身が、話しを聞くことが上手な人で、僕が話しを聞いていたはずが、いつの間にか逆に、すっかり自分の話しをしてしまっているということがよくあった。
その一番大きい理由は、「わかってもらえてる」という安心感じゃないかと思う。
紘一のベースには常に「肯定」があって、どんな話しをしても、「なるほどね。」とそれを受け止めて、じっくりと言葉を選んで反応が返ってくる心地よさがある。その、一つ一つ、ちゃんと自分の考えにフィットした言葉を探しながら話しをする感じが、とてもいい。
紘一のスゴさは「実行力」にあり、いったんやると決めたことは、どれだけ長い時間をかけてでも、あらゆる手を尽くして実現させようとする意志の強さがある。
世の中が、その時その時のブームに合わせて揺れ動いている時でも、彼はひたすら、同じ場所で炎を絶やすことなく、熾き火のようにジリジリと
その、起点と終点のスパンの長さがそのまま、紘一という人間のスケールの大きさなのだと思う。(2008年4月)
2013年。東京で開催された、【宙-sola-】を中心とした「自然の造形美」展にあわせて、その記憶が薄れないうち、京都に行って、制作にまつわる話しを聞かせてもらった。
5年前のインタビューから今までを振り返ってみて、あらためて驚かされるのは、紘一の行動の射程の長さだ。
その、根本にある思想は変わらないまま、しかし、この5年の間も、彼は着実に行動を積み重ね続けて、実績を築きあげ、作品のファンを増やしながら、前進してきた。
紘一が作る物には、既に、ブランドと呼べるような信頼感がついてまわるようになっている。
今回聞かせてもらったビジョンが、この先、どのような形で具現化されていくのか、また話しを聞きに行くのを楽しみにしようと思う。(2013年6月)
紘一は、話しをしていてとても居心地がいい相手だ。
紘一自身が、話しを聞くことが上手な人で、僕が話しを聞いていたはずが、いつの間にか逆に、すっかり自分の話しをしてしまっているということがよくあった。
その一番大きい理由は、「わかってもらえてる」という安心感じゃないかと思う。
紘一のベースには常に「肯定」があって、どんな話しをしても、「なるほどね。」とそれを受け止めて、じっくりと言葉を選んで反応が返ってくる心地よさがある。その、一つ一つ、ちゃんと自分の考えにフィットした言葉を探しながら話しをする感じが、とてもいい。
紘一のスゴさは「実行力」にあり、いったんやると決めたことは、どれだけ長い時間をかけてでも、あらゆる手を尽くして実現させようとする意志の強さがある。
世の中が、その時その時のブームに合わせて揺れ動いている時でも、彼はひたすら、同じ場所で炎を絶やすことなく、熾き火のようにジリジリと
その、起点と終点のスパンの長さがそのまま、紘一という人間のスケールの大きさなのだと思う。(2008年4月)
2013年。東京で開催された、【宙-sola-】を中心とした「自然の造形美」展にあわせて、その記憶が薄れないうち、京都に行って、制作にまつわる話しを聞かせてもらった。
5年前のインタビューから今までを振り返ってみて、あらためて驚かされるのは、紘一の行動の射程の長さだ。
その、根本にある思想は変わらないまま、しかし、この5年の間も、彼は着実に行動を積み重ね続けて、実績を築きあげ、作品のファンを増やしながら、前進してきた。
紘一が作る物には、既に、ブランドと呼べるような信頼感がついてまわるようになっている。
今回聞かせてもらったビジョンが、この先、どのような形で具現化されていくのか、また話しを聞きに行くのを楽しみにしようと思う。(2013年6月)