木村由利子

丸くてつやつやしたものが好きです。
(2010年1月 横浜にて)

そんなものじゃない何か

(清水宣晶:) 由利子さんて、本を読む時、
その世界にかなり感情移入して読んでるよね?

(木村由利子:) 本はね、すごく入りこんじゃうから、
ツラいシーンがあったりすると、先が読めなくなることある。
映画で、血がビューって出たり、頭割れたりする描写があっても全然平気なんだけど、それが文字になると、「うわぁーっ・・」てなるの。

オレは逆で、「リング」とか「らせん」みたいなのは、
小説だと面白い!って読めるけど、
映画になったものは、絶対に観たくないな。

怖い小説は、本当に怖いから、読めない。
家にあるっていうだけで、もうダメ。

オレ、字が大丈夫なのは、
読みながら、そこまで想像してないからなんだろうな。
そのかわり、やっぱりマンガだとすごくその世界に入る感じがする。

私、マンガみたいに絵があるほうが、
本よりも冷静に読めるんだと思う。

絵があると、その分、想像の余地が減るからかな。

そうそう。
だから、自分のなかで想像しちゃうと、
そんなものじゃない何かが出てきちゃうんだよね。

(笑)「そんなものじゃない何か」って。

「アーっ!」ってなって本当にイヤなの。
その本から何か「念」みたいのが出てるように見えて。

本当に本を楽しんで読んでる人って、
そういうものなのかもな。

私、ラグビー部のマネージャーを
大学一年生の時やってて。

そんなことやってたの!?

あれ?
トンガ人の留学生の話しとかしたことなかったっけ。

ちょっと、その話しをお願いします。

トンガの人って面白いんだよ。
彼らキリスト教徒なんだけど、戦闘民族だから、すぐ殴るんだよね。
審判の見てないところで、こっそりと。
でも、試合終わると、隅っこでお祈りして反省してるの。

(笑)その、ギャップがかわいいね。

ラグビーやってる時って、怪我人が出るから、
手とか、あらぬ方向に曲がっちゃたりするでしょ?
そういうの、他のマネージャーの子とかは全然見れないんだけど、
私、それも平気なんだよね。
「あらら、曲がっちゃったよ」とか言って。

うわーー、
スゴいな。

実際の怪我を見るよりもずっと、
頭の中で想像することのほうが怖くて怖くて。

5秒見たら死んじゃうような何か

これ、私だけなのかな。
今思い出したんだけど、小さい頃から、
ピカッって一瞬だけ出て来る気持ち悪い映像ってない?
それが何なのかは、一瞬だからわからないんだけど。

え?
テレビとかで?

ううん、頭の中で。

えぇ!?
怖ーーー!
そんなの、ないわ。

小さい頃から、あるの。
いつも同じ映像だっていうことはわかるの。
ほんとうに、たぶん私の想像力の中の醜さとか、汚らしさとか、
そういう力を一斉に集めて出来た何かなのね。

ははあ。

それが、ほんとうに何でもない時にパッてよぎるの。
「来た!」って思って、
それをどうにか残そうって思うんだけど、速すぎてわからないの。

なんかあるんだね。イメージが。
人の顔とか、そういう雰囲気なのかな。

なんか、生き物っぽいんだけど。
あと、乳白色が使われているってことぐらいしか判らない。

ぎゃははははは!
怖い!怖いよーーーー。

怖いの。怖いの。
だからその話し、あんまり人にしたことないの。
5秒見たら死んじゃうような何かなのね。
何なのかわからないんだけど、いまだにそれがちゃんと見れたことがない。

そういうのが、頭の中で、
日常生活の途中にいきなり登場するの?

うん。
でもたぶん、良くない時に来るのかな。
茶の間とかにいる時に、起こりやすかった。

茶の間。
一人でいる時?

他の人がいる時でも。
で、それが来て、「あっ!」って思って、
勝手に独り気分を害して、独り去る、みたいな。

他の人とシェア出来ないからね。

しかも、誰のせいでもない、っていう。
なんかもう、頭の中で起こることが一番怖い。

自由すぎて、リミッターがないからね。
そういえば、子供の時に怖いって思うものって、
そういう種類のものばかりだったな。
自分の影が、自分のあとを追いかけてくるのが怖かったり。
最近は、まったく感じなくなったけれど。

でも、その怖かった記憶は残ってるでしょ?

それは覚えてる。

天井見てるだけで「やべーー・・」ってなったり。

あったあった。
天井の木目が、何か怖いものに見えたり。

いったんそういうモードに入ると、
「完全に人がいる」って思っちゃうもんね。

たしかに、その頃の感覚で本を読んだら、
どんどん想像が膨らむのかもしれないな。

もう大パニック。
それが映画とかだったら、限度があるし、
そもそも、あんまりなのは公開出来ないじゃない?

そうか!
上映する前に、「映画倫理委員会」みたいなところが全部チェックしてOK出してるんだろうしね。
そう考えると、映画って安心かも。

小説だと、次のページめくれない、どうしようって悩むことがある。
怖い内容じゃなくても、そういうことあって、
「優駿」の、馬がレースしているシーンで、
緊張感が高まりすぎてページがめくれなくなったことがあった。

そういう感情移入は、もう才能だと思うね。

清水さんに勧めてもらった「砂の女」も、
「きたーー」って感じだった。

ああ!
あの小説は、本当にダイレクトに皮膚感覚を刺激するリアルさがあるなあ。


読んでてもう、背中とかに砂が入ってきてる感じがして、
ジャリジャリしてきた。

砂で蒸れて皮膚がただれる描写とかさ、
うわーー!って思うわ。

布団の中に砂が入ってくる感じとか。
なんで水分と砂で、屋根がぶよぶよになるの?とか、
ああいうのを読んだあと眠ろうとしても、想像が止まらなくなって。

頭の中が砂祭りだよね。

自分がまるで、小説の世界で暮らしてるような気分になるから、
ああいう上手い描写されると、きつい。

落ちたら死んじゃうような何か

何もなくても
自分の空想の中で遊べるってのは楽しいな。

私、夜寝る前とか、
「今日は何の妄想しようかな」とか考えながら横になるんだけど、
その時間が一番楽しみ。

その時間って、
何にも邪魔されずに、思う存分、妄想を楽しめるよね。

妄想っていえば、小さい頃、
家族で車に乗る時、私、左後ろの席が定位置だったから、
外を見ると、歩道側が見えるの。

うんうん。

歩道と車道の間に、
こういう形したコンクリートのブロックあるじゃない?

その上を、私が走ってるの。

頭の中で?

そう。
ダダダーって走って、
ここと、ここの間を、
ポーンてジャンプして飛ぶの。


(笑)頭の中の設定では、
「飛び移れずに落ちたら死んじゃう」かなんかなんだね。

そうそう。
ブロックが決まったパターンで出てくるところは、
ポーン、ポーン、ポーンて進めるんだけど。
途中、フッ、て突然出てこなくなるところがあるのよ。

あるよね。

しばらく出てこないと、
「あぁーーー、落ちるぅぅぅーー」って。

「早く次のブロック!次のブロック!」って
心の中で叫んでるんだな。

そう、切実だった。
体が緊張して、つま先が床から浮いてるの。
次のブロックが見えた時の喜びといったら。

子どもの時って、そういう遊び、よくやったよね。
しかも、想像力豊かで、ほんとに死ぬ気でやってるから、
「これ落ちたらマジでやばい」っていう、真剣さが違うよな。

私、だから今でも、
その車のクセって抜けてないんだよね。

いまだに、頭の中で飛んでる?

飛んでる。
しかも、新しい技とか身につけてる。
道路に、「止まれ」とかの標識が立ってるじゃない?

うん。

飛んでる最中に、ずーっと次のブロックが来なかったら、
あの標識の棒は使ってもいいことになってるから、
そこでパッてつかまって、くるーん、て回って勢いつけて次に飛ぶ、
っていう。

ぶははははは!
その身のこなし、忍者だよ。

くノ一だね。

あ!?そうか、
その、飛んでるキャラは自分自身なのか。

自分、自分。

誰かが走ってるところを横から見てるんじゃなくて、
自分がブロックの上を走ってるところを、主観視点で妄想してるんだな。
本物だよ、その入り込みかた。
(2010年1月 横浜にて)

清水宣晶からの紹介】
由利子さんといると、肩の力が抜けてリラックス出来るのは、どんな時も、のんびりとした柔らかな空気に包まれているというだけでなく、何を話しても大抵のことは受け入れてもらえそうな安心感があるからだろう。
理解をしてくれた上で、そこに積極的に新しい視点を積み足してきて、さらに楽しさを倍増させてくれる。

彼女が持っている感性で、とてもいいなあと思うのは、余計なものを持たないシンプルさだ。
身の回りの持ち物という意味においてもそうだし、価値観という点でも、世の常識や固定観念から解放されて、身一つでどこにでも踏み出していくような、すがすがしさがある。

どんな些細な話題であっても、どこかで身につけた借り物の意見ではなく、自分自身の体験や感覚をもとに反応してくれる由利子さんの言葉から、僕はどれほど大きな笑いと気づきを与えられたかしれない。

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