内田洋平

ノーマルアーティスト。
自我が消えると自分が広がる。
そこにみる等価交換について考えています。

07年「読自」
08年「プロボラ」
09年「寝言」
10年「まれびとハウス」
11年「住所無限無職(仮)」

内田洋平BLOG
http://entrepreneur1986.seesaa.net/
(2010年12月 渋谷「麦の詩」にて)

生活をシェアすること

(清水宣晶:) まれびとハウスを初めて見た時、
住人の個室が無いってことにはびっくりしたよ。

(内田洋平:) それはやっぱり、結構驚かれますね。
自分の住む私的空間を、公共的なものとして共有することを、
「住み開き」って言うらしいんですけど、
(※日常編集家アサダワタルさんの「住み開き」より)
シェアルームでも、個室が無いのは珍しいと思います。

自分のプライベートスペースが無いことのストレスってのはないの?

ストレスがゼロかって言われたら、わかんないですけど、
いい面のほうがはるかに多いですね。
一人で篭ろうとしても篭れない、っていうのもいいところだと思うし。

そもそも、普通の家をシェアルームとして使おうとした時、
個室が必要って条件があると、かなり限られちゃうよね。

そう、そうすると共用スペースがものすごく狭くなっちゃって。
部屋に人がいない時、そのスペースを共有できなかったり。

たしかに。
せっかくシェアルームをしてるのに、
効用を最大に出来てない感じがする。

「シェア」っていう言葉って、
全体のパイがあってそれを分配する、って語感があるんですけど、
僕は、どっちかっていうと、
一つのものをみんなで共有するっていうイメージなんですよ。

なるほどなあ。
まれびとハウスを始めたときってのは、
そこで、イベントとかセミナーをやるっていうモデルは考えてたの?

まれびとハウスっていうもののコンセプトが、
様々な異なる価値観を持ったまれびと(客人)がやってきて、彼らが主体になる、っていうことだったので、
僕ら自身がイベントを企画してたのは、最初の一ヶ月ぐらいだけなんですよ。

最初の一ヶ月だけだったんだ!?

で、その一ヶ月で集まった300人ぐらいの人たちが、
「この場所を使ってこういうことやったら楽しいじゃないか」って、
ある種、誤解をしてくれるわけで。

誤解って面白いなあ。
自分たちだけではまったく想像もつかなかったアイデアが出てくるわけだよね。

そう、
だから、使い方の中身を考えるところは他の人に任せてしまって、
「場所貸し業」っていうところに専念することにして。

始めた段階では、
最初の一ヶ月以降どうする、って見通しは立ててなかったんだね。

まあ、そのモデルが成り立たなかったとしても、
最悪、普通に家賃を払って、自分たちがそこに住んで、ってなるだけで、
それって普通のことじゃないですか。

(笑)そうだね。
最悪の場合でも、普通のシェアルームとしては問題なく機能する。

twitterがちょうど流行りだした時期と重なったってこともあるんですけど、
噂を聞きつけて、遊びにきた人がそのうち常連になって、
そこで顔を合わせた人同士が、お互いに勝手につながって。
そのうち、客というよりも、自分が主催する側にまわりたいって人が増えてきて。

その、自然にどんどんアイデアとか、
ネットワークが広がっていく循環ってのはいいね。

そこに行くと、自分がやりたいと思っていることが浮かび上がる装置、
みたいなものをイメージしてるんです。
漠然とでも、やりたいことがあれば、
それを話すことで、興味を持って話しを聞いてくれる人がいるわけだし。

駆け込み寺のような場所

まれびとハウスを始める時、
なにか、参考にしたモデルってあった?

僕自身の避難所、っていうものが欲しかったっていうのがあって。
たとえば香川には喝破道場っていう、駆け込み寺ってものがあるんです。

駆け込み寺って、
夫から逃げてきた奥さんが避難する場所ってこと?

それに限らず、
リストラされた人とか、学校に溶け込めなかった人とか、
世の中に能力が認められない異能の人を、
別け隔てなく保護するような場所ですね。

治外法権の空間って感じだね。

東京にそういう場所あるかなって考えた時、
お寺に入り込んだとしても、出家したと思われるだけで、
世間とは違う場所に行っちゃったってだけになると思うんですよ。
こっち側の世界にありながら、
ある種のアジールみたいのが作れたらいいなって思いつつ。

なるほど。
学生時代の部室なんかは、アジールっていう感じがあったなあ。

社会人になってからは、
そういう場はなかなかないですよね。

シェアルームって、
住人が入れ替わる時に、
出て行く人は代わりの人を探してこないといけないって縛りがあるところ多いでしょう。
まれびとハウスは、そういう決まりは無いんだよね?

そう、
何度も遊びに来てる常連の人たちの中から、
次に住みたいっていう話しが出るし、
そういう人なら、お互いのことをよく知っているから、
入れ替わりは問題なく出来ます。

シェアルームって、次の住人が見つからなくて
存続の危機になること多いから、
そのトラブルが無いってのはすごいと思うよ。

あと、シェアルームで問題になりがちなのは、
掃除とゴミ出しなんですけど。

当番を決めても、
結局、よく気がつく人とか、
キレイ好きな人に負担が集中しちゃうとか、あるよね。

個室が無いことの長所の一つに、
誰かが何か作業をやってると、それが可視化されるってのがあるんですよ。

なるほど!
さすがに、目の前で掃除とかゴミ出ししてたら、
それを見てる人も手伝おうって流れになるね。

あと、イベントをしょっちゅうやってると、
それが終わった後に、必ずゴミ出しをする必要があるぐらいの量のゴミが毎回出るってこともあります。

そう考えると、2~3人でシェアするよりも、
ある程度人数が多いほうが、シェアルームってやりやすいのかな。

2人だとケンカするとキツいし、
3人だと、2人がケンカすると居たたまれない。
4人だと、結構家に誰もいなくなることが多いので、
やっぱり、6~7人ぐらいが適性と思いますね。

シェアルームが上手くいくポイントとして、
やっぱり、住人同士の相性ってのは大きい?

それも、あると思いますね。
まれびとハウスは、入る時に、
「自己開示文」てのを書かないといけないんですけど。

自己開示文?

生まれてから今までの
自分の人生の中身を、
レポートにしてまとめるんですよ。

ぶははははは!
それはすごい!
フォーマットは決まってないんだ?

そう、住人が前に書いた開示文があるので、
それを参考にしながら、自由に。

それ、めちゃくちゃいいなあ。

生きるか死ぬかの恋愛をした、みたいなことって、
普通に話しただけじゃ出てこないじゃないですか。
飲みに行ってじっくり語ったら、
そういう話しも出るかもしれないですけど。
住人については最初の段階で知っておきたい、っていうのがあって。

その内容によって不採用、とかある?

いや、もう住むことが決まってから作るものなので、
不採用はないんですけど、
「この内容じゃ甘いから、もっと出せ」とかはあります。

齋藤孝さんの「偏愛マップ」って本があって、
初対面でも、お互いの好きなものを最初に伝え合うことで
ものすごく距離が縮まる、って話しなんだけど、
自己開示文てのは、お互いを理解するいい方法だと思うな。

センニンプロジェクト

今後、時間をかけて取り組もうと思ってることってある?

最近、考えてるのが、
子どもを1000人作るっていうことで。

自分の子どもを1000人!?

2~3年ぐらい前に、
「ヒモになる」っていうことを経験したいと思って、
ヒモ活動をしてたんですよ。
週1回ずつ、5人の女の人に養ってもらう、
ってことを数ヶ月やってて。

すごいね、その、携帯ゲームの課金みたいな、
みんなからちょっとずつ集める収益モデル。

その次の段階として、
たくさんの子どもに養ってもらおう、と。

でもそれ、どうやるの?

結婚はしたくないけど子どもは欲しい、って女の人は、
聞いてると、結構いるんですよ。
なので、そういう女性を知っていたら、
是非紹介してください、って周りに言ってるんですけど。

遺伝子の生存戦略としては、究極のリスクヘッジだね。
1000人も子どもがいれば、
どれかしら生き残る可能性はすごく高いわけだし。

自分の血縁を作るっていう、
チンギス・ハーンみたいな。

そう!
専制君主とか戦国大名の思考だよ。
それ、壮大なプロジェクトだなあ。

1000人いったら仙人になれるかも、ってことで、
センニンプロジェクトって名づけてます。

(笑)実現したら、
間違いなく「TIME」の表紙には載ると思うよ。

絵本の世界

洋平くん、ブログで読書記録をかなりつけてるけど、
今も、本てよく読む?

ブログを書いてた時に集中して読んで以降は、
あんまり読んでないですね。
3歳から6歳ぐらいまでの間は、
ひたすら絵本を読んでたことがあって。

それ、噂に聞いたことあるなあ。
2000冊ぐらい読んでたんだよね?

自分では正式な数は覚えてないんで、
親からの伝聞と、フェルミ推定なんですけど。

(笑)フェルミ推定で算出したんだ!

最初は、親に買ってもらって読んでて、
それにハマって、何回も繰り返し読んだ後、
もう読む絵本がなくなって、図書館に行って。

うんうん。

図書館でも、置いてあるのは数百冊ぐらいなので、
それを全部読み終わったら、次の図書館に行って、
家から行ける範囲の図書館は全部まわったんです。

それだけ読みまくると、
確実に、読んだ絵本が人格形成に影響でてくるよね。

小学校に入って、算数の授業で、
「1+1=2」とか教えられることが全然頭に入らなくて。
絵本の世界だと、クマとキツネが話したり、
クマはシャケとカツオを食べてお腹いっぱいになるのに、
なんで「1+1=お腹いっぱい」にならないんですか、ってずっと抗議してたら、精神科に連れていかれたんです。

えええ!?

で、その後学校に呼ばれて、校長と教頭と担任に、
「1+1=2、だよね?」って聞かれて、
ここは「2」だって答えないと自分の行動とかが制限される、
って直感的に感じて、「2」だって言っちゃったことが、
すごく僕の中で、悔やまれる出来事ですね。

すごい原体験だなあ。
それ、駆け込み寺みたいな避難所を作りたいっていう気持ちと、
つながってるかもしれないね。

そう、
まず自分自身のためにやってることではあるんですけど、
人間の中にある純粋なものとか、
世間的には認められていないものが逃げ込めるような場所を、
用意しておきたいっていう気持ちがあったんでしょうね。
(2010年12月 渋谷「麦の詩」にて)

清水宣晶からの紹介】
今回話しを聞く前に、渋谷アップルストアの前で待ち合わせをした時、洋平くんは、手ぶらで軽やかに歩いてきた。
日常生活に必要なものは一つのリュックに収まるという彼は、知人の住まう方々の場所でいつでも寝泊りをする自由を手にしている。

「まれびとハウス」という場作りにたずさわった後も、コミュニティーを各地に広げて、東京都内のみならず、京都や海外にまで拠点を築こうとしている彼の2011年のテーマは「住所無限無職」だという。

シェアとは、一つのパイを細かく分配することではなく、一つのパイを全員で共有することだという彼自身の言葉をそのまま体現して、洋平くんは、多くのものを所有しようとしないがゆえに、多くのものに恵まれた生き方をしているのだと思う。

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