柳澤零


東京生まれ、海外育ち。
現在は、信州に暮らしながら、妻と飲食店・食品加工・一棟貸しの宿awaiを運営してます。
(2024年8月 「デニーズ」「barREM」にて)

ただいるだけでいいんだ

(清水宣晶:) あれ、、?
今日は「サカバ角」早く閉まったのかな・・。


(柳澤零:) あっきー!

あ!れいさん?
どうしたの!?

今、「エンボカ」で仕事した帰りで、「サカバ角」に顔出そうと思ったんだけど、閉まってるね。

これはすごい巡り合わせだなあ。
どこかでお茶しようよ。

(「デニーズ」に移動)


こういう突発的な流れ、大好き。

達也さん(「サカバ角」「コーナーショップ」のオーナー)のお導きだね。
あっきーは、最近はどうだった?

小学校の夏休み中は、ずっと家族と過ごしてた。
夏休みも終わったし、また動き出そうか、っていうところ。
れいさんは?


最近は、ちょっと吹っ切れた感じがする。
今、ミッドライフクライシスみたいなことが、自分の中で起こっているんじゃないかと思っていて。

おお。

ツラくなったときって、声が出なくなっちゃうとか、言いたいんだけどすぐに言葉には出てこない、ってことがあるから、声を出すって、すごく大事だなと思って。

そうだね。

自分の中ですごくいいなと思うのは、朗読。

そうなんだ!


コロナがあった期間、子どもたちの中でも、マスクとかして、声を出すのがちょっと怖くなっちゃった子とかいるじゃない。

結構、朗読っていいなと思って。
自分としては、これから、もっと自分の感性と触れたい。
朗読したりとか、絵を描いたりとか、歌を歌ったりとか。

すごくいい。
れいさん、ミッドライフクライシスって言ったけどさ。
オレ今、自分のやりたいことを自分で好きなように決められるのって、もう、いい歳になってきたからこそだと思ってるんだよね。

ああ!
そうだね。


小学生、中学生の時って、気楽な面もあるけど、自分のやりたいことをいつでも自由に出来るわけじゃないでしょう。
でも、年を重ねるほど、今日やることを自分で選べる範囲が広くなる。

そう思う。
人生って見方で全然変わるじゃない?森の中にいても、自分にとっては雑草にしか見えないものも、人によっては、食べ物や薬に見えたりする。

結局は、自分も動いて、雑草以外のものが見える人たちに出会っていかないと、そういう価値観にも出会えないというか。

れいさん、気圧とか天気に影響受けやすいって言ってたけど、晴れだったらよくて、雨だったらダメ、って決まってるわけでもないと思ってて。

晴れだったら晴れの過ごし方があるし、雨だったら雨の気分にふさわしい過ごし方があるだろうから。

ほんとだね。

ミッドライフは事実なんだけど、それがクライシスになるのかどうかは、自分が決められる、って思う。


そうなんだよね。
今までは、石をめくって、そのままスッと元に戻してたものを、ちゃんと一つずつ向きあっていかなければいけない気がしてて。

石をめくるっていうのは、どういう意味だろう。
それは、現実を直視する、みたいなこと?

なんていうのかな、例えば、自分の短所と長所とか、いいところ悪いところ両方含めて自分じゃない。
その判断は人それぞれだけど、どこまでも自分と生きていくしかないというか。

うんうん。

厄年って僕、あんまり信じてなかったんだけど。
結局は自分のいいところも悪いところも、背負って生きていかなくちゃいけない時が、厄年の頃に現れて来るんじゃないかと、今は思ってる。

面白い!
それ、詳しく聞きたい。


たとえば体と心がチクハグしていたことを、ちゃんと一つ一つ対処して向き合っていかないと、心と体にズレが生まれたりする。
それを無視すると、病気や、うつ病になってしまったり。

僕は去年が厄年だったんだけど、今までは体でごまかして、意地でやってたところが、そういうふうに気合いで頑張っちゃうと、3日間寝込んじゃうとか、しばらく人と会いたくなくなるとか、そういうふうになっちゃうから。

だんだん体の無理がきかなくなってくるからね。

そう、その変化を素直に受け止めながら、自分の心と体がひとつになるように、時間をかけていくことが大切だと思う。

責任とか、遺伝とか、自分に与えられた使命や運命とかも含めて、すべてを背負いながら生きていく覚悟をするタイミングが、厄年の頃に急に現れてくるんじゃないかな。

そうか、そんなことを考えてたのか。

その時にはじめて、自分を認めて、自分を受け止めることで、人生で新たなステージというか、新たな一章が始まるんだと思う。

その時に、自覚して受け止めるか受け止めないかで、その後の人生が変わってくるような気がする。

結局は、誰かのためによりは、自分のために生きる、というほうが、僕にとってはしっくりくる。

なるほどなあ。

最近思うのが、僕はすごく環境に左右されるから、環境のせいにしちゃう。
ここにいるからダメなんだ、とか、隣の芝生は青く見えるとか。

でも結局は、どこに行っても、自分がいるじゃないですか。
自分がそこにいて、満たされていれば、結構普通に、見渡せばいいふうに見えちゃうっていうかさ。

そうだね。

もう自分は、いるだけでいいのかなって、最近思ってきて。
やらなくちゃ、とか、こうならなくちゃとかを、とりあえず置いて、ただいるだけでいいんだ、っていうふうに思えてきたんだけど。
人が思うことなんてどうでもいいや、ぐらいの感じで生きたい、というか。

うんうん。

昨日、「エンボカ」のシェフと、お店が終わったあと話してたんだけど。
彼が「レストランの営業は一期一会だから、その場を楽しみたい」って言ってて、それって大事だなと思って。

「失敗しても、巻き返せばいいだけだから、どんどんチャレンジして」って。
そう言われると、気にしないでやっていいんだなって思うから、なんか・・いい職場だなって。


いい職場だね。
安心してやりたいことが出来るってのは、職場でも、家でも、一番大事なことだと思う。

(デニーズの店員さん)
お客様すみません、もうすぐ閉店のお時間です。



なんと!
24時間営業かと思ってた・・。
ちょっと行ってみたかったバーが近くにあるんだけど、れいさん、まだ時間大丈夫?

大丈夫。
行ってみよう。

足し算と引き算

たぶん、開いてると思うんだけど・・。
まだ入れますか?


(barREMのアオヤギ店長)
大丈夫ですよ。
どうぞ、どうぞ。
カウンターが2つ空いてますので。


ああ、よかった。

ここ、すごい店だね。


そうでしょ?
なかなか一人では入れなくて。
ずっと、入ってみたかった。

なんかこの、ボトルに囲まれた雰囲気いいね。

れいさんは、もともと、飲食店とかサービス業をやりたいと思ってたの?


そうだね。
サービス業って、人が欲しいことを感知したり、それに気づいたり、が求められると思うんだけど、そういうのは好き。
で、あとは、体を動かすのが好き。じっとしてるのが苦手だから。


で、今、このバーに来て思ったんだけど、こういう世界って、好きなんだよ。物も好きだし、知識が必要なところも。
だから、最近また、酒とかワインを、ちゃんと知っている人のもとで勉強したいなって思う。

いいねえ。


今、MaruCafeの向かいに建物が一つ空いてるんだけど、お酒を売れる場所を作れたらいいなと思ってる。

MaruCafeは、マリがやりたいことに僕が乗っかった感じで。
デザインに関しては好き勝手やらせてもらったけど、店のカウンターとか厨房機器の高さなんかは、基本、妻に合わせて作ってる。

MaruCafeでは、れいさんとマリさんでは、なにか役割の違いってある?


なんだろうね。
音楽とかDJで例えると、僕がレコードとか持ってきて、マリがそれをミックスしたり、形にしてくれる。

そうなんだ。

おでんとか最近始めたんだけど、そういうのも、僕が何も言わずに、おでんを温める器械を買ってきちゃって。


勝手に(笑)。

じゃあもうやるしかない、みたいな感じで、その後に、マリがあそこまで形にして作り上げて。
だから、彼女すごいなって思って。

そうか。

僕は、あんまり現場にはいたくないのかもしれない。

現場にいるよりも、全体のイメージとか、コンセプトを考えるようなのが好き?


マリは、料理の才能がある。
努力家で、真面目だから、レシピに書かれた通りにはじめは作ちゃう。
僕は、そういう地道なことはできないけど、「すごくいいけど、スパイスとか、ちょっとひねりを入れてみたら」みたいなことを話したり。
僕は足し算で、マリは引き算、だと思ってる。

引き算、ってのは、物事をシンプルにしていくってこと?

そうそう。
だから、僕が料理のパーツ(食材)を持ってきて、盛り付けは彼女に託してる。
僕は「これで何か作って」ってパスして、形にしてくれるのはマリ。

その関係、面白いなあ。


このお店に来てあらためて思ったけど、割と自分の空間が欲しいんだなって、最近思う。

家で言うと「縁側」みたいな部分で、そういう、外と中の境界線みたいな場で、人と会える場所をつくりたいと思ってる。

なんか、こういう場所にしたい、みたいなイメージってある?

信濃町で、長年パリに住んでた人が、地域の公民館的な場所を作りたいって考えて、「Vrac Market」っていう小さなショップとレストランを作ったんだよ。そこは、ぜひ、あっきーにも行ってみてほしい。

信濃町っていう場所を、すごい理解してる人だなと思って。
幅広い年齢層の人に来てもらうために敷居をすごく下げる、っていうことを言ってて、改装にまったくお金をかけない。
食堂に行くドアも、石膏ボードをただ切り抜いただけなんだけど、彼が培ったセンスがすごい出ていて、めっちゃかっこいい。

そういう、自分の世界を持ってる人は憧れるな。
オレから見ると、れいさんも自分の世界がはっきりある人だと思う。

今日は、話し聞かせてくれてありがとう。

あんまり、自分のこと話すのって苦手なんだけど、たくさん失敗してここまで来たっていうことは、なんか、自信持って言えるかなと思った。

棒に当たりながら、なんとか、ここまで辿り着いてきたっていうかさ。
結構、悩んだりとか止まったり、そういう時もあるけど。
なんか今日も、偶然ここに辿り着けたし。
またちょっと明日頑張ろうっていうふうになれた。


今日みたいに、たまたま流れに乗って会えたりとか、偶然のタイミングで居座って今ここにいる、みたいな形が理想的かもしれない。

今日はほんと、面白い出会いだったね。
こういう流れで、れいさんと話しができたのは、本当に最高のシチュエーションだった。
(2024年8月 「デニーズ」「barREM」にて)

清水宣晶からの紹介】
れいさんのことを紹介するとき、MaruCafeの人、というと、なんだかあまりピンとこない。
いつもMaruCafeにいる、というれいさんは想像ができず、いろいろなところにれいさんは笑顔と共に現れて、余韻を残してまたどこかに動いていくような感じがする。

れいさんはいつも、一緒にいる人と過ごす時間を、すごく大切にしている。
どんなに慌ただしい場所にあっても、一人ひとりと向き合って、きちんと話をすることを忘れない。
僕はそういうれいさんと話すのがすごく好きで、れいさんに会うたびに、とてもいい時間を過ごした気持ちになる。

れいさんに話しを聞きに行く、ということについて考えたとき、日時と場所を決めて訪問をする、というかしこまったインタビューの仕方はあまりしっくりこない気がしていた。
何かいい機会が巡ってくるといいけれど、と思っていたところに、夜の御代田町でばったりと遭遇して、とてもいい巡り合わせで話しができた。

れいさんとは、この先ずっと、ちょうどよいタイミングが訪れるたびに、その時その時に感じていることについて話しをしたいと思っている。

対話集


公開インタビュー


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