西村友恵

田舎生まれの田舎育ち。今は都会で生活中。

水辺や緑地、明るい日差しのもとを好む。
雨が降ると若干弱る。

分析屋で、言葉を扱うことが好き。
基本的なコミュニケーションスタイルが「ツッコミ」らしいのだけど、本人は割と無意識。
(2009年5月 下北沢「おたふく」にて)

正確に答えたい人たち

(西村友恵:) 前にあっきーが言っていたことで、私と似てる、って思ったことがあるんだけど、「最近どうなの?」とかっていう、ざっくりとした質問が私も苦手なの。

(清水宣晶:) うんうん。
たしかにそこは、友恵とオレとの似てるところだと思うな。

それは、コミュニケーションに詳しい人に言わせると、
「正確に答えたい人」なんだって。

あー、なるほどなあ。
そういうことかもね。
前に、ゲームセンターでクイズゲーム(セガのanswer×answer)を一緒にやった時、二人とも早押し問題が苦手だったのも、
問題の途中で答えることへの抵抗感のせいな気がするし。

(笑)そうそう。質問内容をちゃんと把握したいんだろうね。
たとえば自分が映画を観て、誰かに「どうだった?」って聞かれても、
内容を説明してほしいのか、私の好き嫌いを聞きたいのか、
何か別の情報を欲しがっているのかとか、
そういうところがよくわからないと、どう答えていいか迷っちゃう。

わかるわかる。
人から聞かれた場合じゃなくて、
自分から情報を発信する時も、
やっぱり正確に、客観的に伝えようとする?

単に、私がいいと思うから、とか
自分がこうしたいんだ、とか、
そういうことの発信ってあまり得意じゃないし、
やってないんだと思う。

たとえば、この、
今いる店のことをブログに書くとしたらどういうことになるの?
(※この日は、下北沢の広島風お好み焼きの店で話しを聞いた)

メニューが、お好み焼きとおでんの組み合わせっていう特徴があるから、
まずそういうことを書くかな。
そういう話しのほうが相手にとって重要だろうと思っちゃうから、
「私がどうだった」とかっていうところは後なんだよね。
そういう習慣がついてる。

あー、、
「美味しかったです」とかっていう話しの前に、
そういう話しがくるのか。
たしかに、メニューにおでんがあるのは事実だから、そこは確実な情報だよね。

そっちのほうが安心するんだと思う。
間違わないから。

そうか。
正確性っていうところは、やっぱり大事にしてるんだな。
「最近どう?」みたいな、
曖昧な質問をされた時にはどうしてるの?

だいたい聞き返す。

「最近の何について?」って?

聞き返しにくい状態だと、
若干のストレスを感じつつ、とりあえず「元気だよ」とか答えるかな。

わかるなあ。
だいたいで聞かれてる時は、オレもだいたいで答えるんだけど、
なんか、そういう漠然とした質問って、相手があまり自分に対して興味を持ってるって感じがしなくて、話しに熱が入らないんだな。

そうなんだよね。
とにかく主観を伝えるとか、盛り上げて楽しませるとか、
そういうアプローチでのコミュニケーションも出来たらいいとは
思うけど、あまり得意じゃない。

そうなるとさ、
対話型よりも、文字型のコミュニケーションのほうが向いてるよね。
たとえば電話よりもメールのほうが、
落ち着いて考えられたりさ。

それは、圧倒的にそうだね。

そこはやっぱり、似てるんだよなあ。
オレ、小学生の頃から、壁新聞みたいなメディアを作るが好きだったよ。

私、小学校でそういうの作る委員だった(笑)。
自分で時間をかけて考えて、納得いくように作りこんでから発信する作業が
楽しいんだよね。

前にイベントで、友恵が集客状況をまとめて、
今はどういう状態です、っていうことを実況中継的にメーリングリストに毎日送ってたことがあったじゃない。
あの文章はオレ、すごく面白いって思ったな。

ああいうのって、すごく好きなことだし、楽しんで書いてたからね。
さとあい(佐藤愛)が言ってた言葉でいえば、
私も「0から1」を作り出すタイプではなくて。
ある情報の中から、自分が整理して見出したものを伝えるのが得意なんだと思う。

その楽しさってのは、オレもわかるなあ。
それはオレ、編集の楽しさだと思っていて。
もともとのデータとしてあるのは、「申込人数」っていう数字だけなんだけどさ。
そこに、何らかの傾向とか意味を見つけるのが面白いんだろうね。

そういうのは、昔っから習性としてあるみたいで、
高校の時の吹奏楽部でも、「このパートって、全員末っ子なんだね」とか、
よく言ってた。

ああ!
そういうのを自然に見つけてしまうのか。
それは、一つの才能だと思うよ。

自分というものの伝え方

たとえば、フィリピンに行って帰ってきたような時にさ。
「どうだった?」って聞かれたような時は、どうする?

それもね、やっぱり、
「相手が何についてどこまで知りたいか」を、まず確認する。
自分の思い入れとか、語れることは色々あっても、
相手がそこまで興味がないのにしゃべることは無いと思う。
そこは、最初に空気を読もうとするね。

じゃあ、ましてや、
聞かれてもいないのに勝手に話したり、ってのはないんだね。

ないね。もちろん相手にはよるけど。
あと、同じ質問をされても、相手が本当に興味がありそうな時と、
完全に場つなぎで聞かれてる時では違うと思う。

そうだね。
空気を見ながら、ってのはあるな。
パーティーみたいな場所での、自己紹介っていうのはどう?

あんまり得意じゃない。
他のインタビューの中で、そういう話しあったよね?

多苗尚志が言ってた、「昔は明快な自己紹介が言えることに憧れてたけど今じゃちゃんちゃらおかしい」っていう話しだね。

自分が自己紹介の1人目の時なんかは難しいよね。
その場の人達が、どういうことを聞きたいかもわからないし。
2人目以降は大抵、みんな前の人と同じような話題で話すから、なんとなく
無難にはなるけど。
何か、無闇に情報を出したくないっていう心理が、
いつも自分のどこかにある気がする。

その感じ、わかるよ。
オレは、自分から自分について話すってことに抵抗があって。
自分のことって、自分で説明して伝わるものじゃないと思ってるんだな。
言葉だけで言えることを、あまり重視してなくて、
それよりは、やってることを見ててくれ、って思う。

たしかにね。
もし自己紹介で、「自分は献身的な人間です」って言った人がいたとしたら、
それを聞いた私は、
「この人は献身的な人なんだな」じゃなくて、
「献身的だと思われたい人なんだな」って思っちゃう。

まさに!
そういうことなんだよな。

我ながら、まったくもって
素直じゃないと思うんだけど。

いや、よくわかるよ。
「自分で言うなよ!」って思ちゃうんだな。
オレは、そう思ってしまう範囲が広くて、
「読書が趣味です」とかいうことでさえ、なんか、
そういうこと自分で言うか!?っていう、恥ずかしさがある。
自分が何者かっていうことは、自分で決めることじゃないだろう、とも思うし。

そうだよね。
だから逆に、そういう宣言に対して、
「そうか、献身的な人なんだな、いい人だな」って
そのまんま受け取る人がどのくらいいるのか、知りたい気はする。

わかるなあ。
そういうことをみんなの前で話してる人がいたら、
オレは、その人に興味がいく以上に、
それを聞いてる人たちが、どういう反応をしてるのかってことのほうに興味がいくよ。
それはそれで、変だと思うんだけど。

わかるわかる。
ただ、考えようによっては、
「自分のここがすごいんです」とかそういうことを、
就職面接でもないような場で言う人がいたとしたら、
「自分をこうとらえてほしい」「ここを見てほしい」っていう
その人の自己認識は伝わるから、
結果的にわかりやすい人ではあると思う。

なるほどなあ。
そういう、相手の自己認識を知った上で接したほうが、
お互いにコミュニケーションがしやすいってのはあるだろうね。

わかりやすさをお互いに出し合うことでの、メリットも確かにあるんだろうね。
手間が省けるというか。
そういう単純明快なコミュニケーションを好む人にとっては、私みたいなタイプは
扱いに困るんじゃないかな。

イメージと記号

私は、子供の時、
勉強だけ出来て運動が出来ないっていう、
わかりやすいマンガのキャラクターみたいな特徴があったから、
「この子はあんまり友達が作れない子だ」みたいなイメージを
一方的に持たれることが結構あって。
その経験と繋がっていると思うんだよね。

そういうこと、あるよなあ。
わかりやすい部分だけを見て、分類して理解したつもりになってるっていう。
そういう、簡単なレッテルでまとめないでくれ、って思う。

本人を見て確認するよりも、そう見なしたいんだ、っていう
集団心理みたいなものを、子供ながらに感じたのね。
だから今、たとえば「国際ボランティアに関わっています」って言った瞬間に、
聞いた側が「あー、妙にキレイな事が好きで、それに陶酔してる人なんだ」とか、
「俗世間から離れたところに傾倒してる人なんだ」っていうところに
勝手に想像がいくのがイヤで、普段あまり話題にしなかったり。

わかるよ。
「国際ボランティア」っていう言葉を出すんだったら、
最後まできっちりと説明したいっていうことなんだよね。
その部分だけしか言わないと、勝手にイメージで判断されちゃうから。

そうそう。
違う自分が伝わってしまうよりは、
あんまり情報を出さないほうが、まだ正確だと思うから。

それは考えるなあ。
名刺の肩書きも、どう書くのが一番誤解がないか、ってよく考えるよ。
代表取締役、って書くと、それで勝手なイメージが作られそうだし、そのイメージと実像ってだいぶ違うと思うから、
課長補佐ぐらいにしとこうか、とか。

「課長補佐」(笑)
会社の肩書きも、自分で作れちゃうもんね。
でも、やっぱり自分も、あっきーを誰かに紹介しようとする時には、
申し訳ないんだけど、一番わかりやすい言葉を使って単純に説明しようとしてしまうね。

そういう記号を他人につけられる前に、
先に自分でつけてしまったほうがいいんじゃないかと思うこともある。
誰かに紹介してもらう時っていうのは、やっぱり、
名前以外に、何らかの説明は必要になるからさ。

お互いに、記号的になっちゃうんだよね。
代表取締役っていう名刺をもらったとしたら、
その瞬間に、その記号に対して話しをすることになっちゃうし。

名刺はね、本当は、
最初に出すのはよくないと思うんだよ。
名刺無しで話しをして、必要だったら、その後に渡すっていうのなら自然だと思うんだけど。

時々助かるのは、
私は、見た目の印象より、コンサルタントっていう名刺があったほうが
伝わりやすいところがあって。

どういうこと?

初対面の人に、イメージで、
「幼稚園の先生かと思いました」って言われたことがあるんだけど。

ぶはははは!
それは、上手いこと言うなあ。

それはそれでいいんだけどね。
ただ、会話をする前の段階で相手の先入観が強いと、コミュニケーション
の出だしからズレが出じることがあって。
そうなると、後の軌道修正が難しい。

ああ、そういうのあるだろうね。
ギャップを楽しむっていう面白さもあるかもだけど。

今思ったけど、見た目だけじゃなくて、話し方とかも影響してるのかもね。

友恵は、油断させるよなあ。
ゆき(森村ゆき)みたいに、バーッてしゃべるタイプだったら、
また、印象も違うのかも知れないけど。

だから、私の場合は、
特に仕事の時は、名刺を出して印象を中和するぐらいが丁度いい、
ような気もする。
(2009年5月 下北沢「おたふく」にて)

清水宣晶からの紹介】
友恵は、見た目の印象がほんわかして柔らかいので、そのつもりで手ぬるく入ると、方向を間違えてしまう。最初、僕もそういう入り方をして、核心がつかめず、周りをうろうろするだけに終わってしまった。

ヒトゴトのインタビューの中では異例の事なのだけれど、友恵には4回、話しを聞かせてもらった。3回目まで聞いたところでも、まだ、友恵のコアになるような部分が見えてこなかったので、更にもう一度、話しを聞かせてもらったところで、ようやく通じてくる感じがあった。

対話を重ねてわかってきたのは、友恵の価値観やモノの考え方は、とても僕と似ているということだった。友恵は、いったん出した言葉は無かったことに出来ないという不可逆性をよく知っている人なので、抽象的なものごとを曖昧なままの言葉で語ることを善しとしないのだ。だから、覚悟のない問いには、それなりの答えしか返ってこない。

聞き手という立場でありながら、自分のことを語らなければ友恵からは本当のところは出てこないということが、話しながらわかってきた。今回ぐらい、インタビューで自分のことを話したのは初めてのことだったし、僕自身にとっても、たくさんの気づきがあった、とても楽しい対話だった。

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