今西奈美
(2008年2月 自由が丘にて)
教職に就いたきっかけ
(清水宣晶:) NECを辞めて、大学の教職に転職した時って、どういうきっかけだったんだっけ?(今西奈美:) NECで、パッケージのカスタマイズとかをお客さんにトレーニングした経験のことを、大学院の時にお世話になった先生に話したら、「ちょうど短大で公募があるよ」って言われて。
それで、公募に申し込んだのがきっかけだった。
学校で教えるっていう可能性は、就職する前から考えてた?
むかし、「将来の夢」に先生って書いてたことあったよ。
それって、いつぐらいの時のこと?
万博の時・・
万博?横浜博のことじゃなくて、もしかして、つくば博?
そうそう。
(笑)そんな前の話しか!
その時、未来の自分に手紙を送る、ってのがあって。
それが21世紀になった時に戻ってきたんだけど、そこに「先生になりたい」って書いてあった。
オレがNECを辞めた頃はそんなこと考えてなかったと思ったから、その後1年ぐらいのうちにそういう機会があったってことだよね?
わたし、もともと学校は好きで。
何かしらの研究機関には残ってたいっていう思いは強かった。
入社した時も、本当は中研(中央研究所)に行きたかったんだもの。
でも、話しを聞きに行ったら、中研は博士課程を卒業した人の中でもトップクラスの人しかとらないって言われて。
で、代わりに特別プロジェクトっていう部署に配属希望を出したの。
その、希望の部署には行けなかったけど。
ああ、当時、BIGLOBEとかやってたところだね。
勉強するっていうことが、好きなの?
うん、そうだね。
なんで好きなんだろう?
新しいことを色々と知ることが楽しいからかな。
その内容は、何でもいいの?
やっぱり、コンピュータに関連したもののほうがいいね。
特に、データベースの授業が、大学の時、すごく好きだったの。
おじいちゃんから受けた影響
コンピュータを使ってたのは、大学に入る前からなの?家で、おじいちゃんが使ってた。
仕事で?
趣味で。
おじいちゃんがね、趣味が勉強、みたいな人だったの。
たしか、小学校も卒業してないんじゃないかな。
戦争か何かで?
そうそう。だから、自分で勉強するのが好きで。
私の部屋にあった百科事典の「数学」っていう欄を読んで、それで数学を勉強してたの。
ん?「私の百科事典」ってことは、おじいちゃん、そんな年をとった後に勉強してたの?
そう。すごく年をとってから勉強をしてた。
コンピュータをやり出したのもそうだしね。
その、おじいちゃんが使ってたのが、コンピュータを見た最初なんだな。
それは、いつぐらいだった?
中学生か、高校生ぐらいの時じゃないかな。
おじいちゃんは、それでゲームとか、姓名判断みたいなのも作ってたね。
そうか。
大学で理系に入ろうとしたのも、もともとは、おじいちゃんの影響なのかな?
そうだね。
元をたどっていくと、やっぱり、おじいちゃんから受けた影響は大きいと思う。
シンガポールの生活
シンガポール暮しは、日常会話は、もう不自由ないの?
結構、会話でショートフォームを使うんだよね。
言葉を短縮して、頭文字だけで話すの。
ああ、日本語でいう「なるはや」みたいな単語で話すわけか。
そう、例えば、アカデミック・カレンダーを「AC」って略したり、
そんなのばっかりだから、話しがよくわからないこと多い。
若者は、なんとなく、そういう言葉使いをしそうだな。
会話の中では、マンダリン(広東語)って使われるの?
うん、よく聞く。
最近は、中国とかインドも強くなってきて、政府が、中国語もしゃべれないといけません、っていう政策を出したから。昔よりも、マンダリンで話してる人はずっと多いと思う。
あ、そう?
じゃあ、みんなマンダリンもわかるんだ?
うん、学校でも習うし、中国系の人たちは、家でも普通に話してるし。
その、英語と中国語ってのは、反則に近いぐらい最強の組み合わせだな。
みんながそれをしゃべれるなんて、末おそろしい国だよ。
(2008年2月 自由が丘にて)
【清水宣晶からの紹介】
今西さんは、僕がNECに勤めていた時の、同じ部の同僚だった。
その後、僕がNECを退職して、システム制作会社を起業したばかりの当時、プログラムを手伝ってくれたり、随分と力になってくれた。
会社は、まだ右も左もわからなかった、立ち上げた後の2年間くらいに最初の山場があって、その時の助けがなければ、会社は最初の1年、もったかどうか疑わしい。困った時に、これほど頼りになる人は他にいない。
今西さんは、僕がNECに勤めていた時の、同じ部の同僚だった。
その後、僕がNECを退職して、システム制作会社を起業したばかりの当時、プログラムを手伝ってくれたり、随分と力になってくれた。
会社は、まだ右も左もわからなかった、立ち上げた後の2年間くらいに最初の山場があって、その時の助けがなければ、会社は最初の1年、もったかどうか疑わしい。困った時に、これほど頼りになる人は他にいない。