森村隆行
1973年生まれ。群馬県出身。 東京大学経済学部卒業後、伊藤忠商事株式会社に入社。木材部配属。2000年、プルデンシャル生命保険入社し、ライフプランナーという営業職に就いた後、(株)保険見直し本舗というベンチャー企業に転職し取締役就任。趣味、登山。 ライフワークとしてチャリティ活動を行う。1998年よりフィリピンのスラムで奨学金の基金であるSto.Nino Fundを運営。2002年よりフィリピンの孤児院の支援を行うParasaiyoメンバー。チャリティーイベントとしてPARACUP~世界の子どもたちに贈るRUN~を運営。 http://www.paracup.info/ |
(2014年12月 自由が丘「ラ・ボエム」にて)
何者であるか決定する覚悟
(清水宣晶:) 今日は時間取ってくれてありがとう。もりりんとサシってのは、かなり貴重だよ。
(森村隆行:) いやいや、こちらこそ、
うん、メシ食おう。
メシ食おう。
どこに行こうかね。
やっぱり、赤提灯みたいな、酒飲めるところのほうがいい?
いや、普通の飯屋でもどこでも。
あっきーは、
自由が丘、ホームだもんね?
そう、まあ、店はいろいろとあるんだけども、
「ラ・ボエム」行こうか。(そこしか知らない)
この店なんだけど・・
さすがに年末だけあって、満席な感じかもなあ。
このへんの席、めちゃめちゃ空いてるよ。
あ、外!?
テラス席でもいい?
いいよ、ヒーター置いてあるからあったかそうだし。
冬にテラスも、なかなか風流だね。
いいじゃないですか、これ。
ちょうど最近、焚き火にでもあたりたいなと思っててさ。
そうか、よかった、
その希望もなんとなく叶って。
今日会う前に、
最近もりりんが何を考えてるのか、
下調べとして、facebookを見てきたんだけどさ。
あ!
わはははは。
全国各地の旨そうな食べ物の写真が並んでた。
facebook始めた時、最初は、
練習のつもりで食べ物の写真アップしてたんだけど。
(笑)そのままメインコンテンツになっちゃったんだね。
とりあえず、注文しよう。
ちりめんじゃこと青唐辛子のパスタ、
辛めで大盛りで。
あと、なんか肉食おう。
じゃあ、この、仔牛のカツレツのミラネーゼを。
オレ、今月40歳になったんだけどさ、
今日はそのことについて、同年代のもりりんと話そうかと。
あ!そうか、
あっきーも40になったのか。
そう、まだ全然実感ないんだけれども。
もりりん、40になった時は、何か感じたことあった?
そうだね、
明確に感じたことが1つあって、
意識し始めたことが1つあった。
ほうほう。
まず、明確に感じたというのは、
50代がまもなくだなということ。
おお!?
40代になったときに50代のことを。
30代の時は、50代はすごく遠かったんだけどさ、
40になった瞬間にそれをとても近くに感じたわけ。
うんうん。
50代で仕事の集大成を迎えるイメージとしたら、
じゃあ40歳の自分はいま何者なのか、
っていうアイデンティティーの話になってくる。
20代の時は、まだ自分は何者でもない。
一般的にはどこかの会社に勤めて、何かの仕事をしているけれど、
最初は見習いだしね。
自分は世の中で最終的にどのような仕事をする人なのかっていうことは、
おそらくまだ明確じゃあない。
そうだよね。
26歳から保険業界での仕事してるから、もう15年でしょ。
物の見方とかは、保険屋特有のものが身についてるんだろうし、
職業人としての矜持もある。
ただ、自分の中で、これが最終形なのかと問うてみると、
まだまだ、あと一変化、二変化あるんじゃないかという気がする。
これは仕事の内容がどうのというのではなくアイデンティティの変化だよね。
もちろん、人によっては、
そのまま変化なくフィニッシュするっていうこともありだと思うけど、
それでも例えば業界で何をする人なのかを、そろそろ明確に意識していかないといけない。
まさにそういう時期が40代にあたるんじゃないかと。
なるほどなあ。
それは、すごくよくわかる話しだよ。
「あ、もうこんなところに来たんだ」と。
今までの集大成であるべき年代が、すぐそこまで来ている。
40代の半ばには、自分が人生で何を成すのか、
自分は何者なのか、覚悟できなきゃいけないと感じたんだね。
その、最終的に自分が何者かということを
フィックスしなければいけないリミットって、
どのあたりだと思う?
それは、さっき言った2つ目の話に通じるんだけど、
健康を害した時じゃないかと思う。
ああ、なるほどなあ。
この年齢まで、っていう明確なものじゃなくて、
いきなり訪れるわけだね。
まあ、いきなりじゃなくても、
徐々にってこともあるだろうけれど。
あともう一つ、
40歳になって意識したことっていうのは「厄年」。
あああ、それは意識するね。
男は、40代になったその年が本厄だから。
厄年っていうのは、
あれは、本当だわ。
あ!そう!
運勢がどうのとかってことじゃなくて、
体の変化っていう意味で。
へえー。
保険業界にいるから、医療や病気の勉強をすることもあるんだけど、
やっぱり、40代になると大きな病気を患う人が珍しくなくなる。
あるいは大病じゃないにしても、
健康診断でいろんな指摘事項が激増するのが男性はこの時期だよね。
自分のことを振り返っても、30代は体を酷使しても集中力を維持出来たけど、
40代で同じことやるとなると、やっぱりしんどい。
それで、それを乗り切るためにダイエットをして、
一時は12kgぐらい体重を落としたの。
あ、そのためのダイエットだったのか。
40歳になったあとに高尾山に登ることがあってさ、
あそこは薬王院っていって厄除けの神様だから、
お札でも買って帰ろうと思って頂上の神社に立ち寄ったんだけど、
その時に、「厄年」って統計的に、
健康上おかしなところが出てくる年齢のことじゃないかって思って。
だとしたら、お札とか買っている場合じゃなくて、まずは体重落とそうと。
神頼みするだけじゃなくてね。
そう、この時期に大病にみまわれる人をけっこう見てきたから。
個体差はもちろんあるけど、
自分だけが特別に丈夫だとは考えないほうがいいじゃん。
そうか、やっぱり厄年って、
何かの意味があるんだね。
そう思う。
というか、確実に体が変わる年齢だから健康には気をつけなさい、
と先人たちが残してくれた警告じゃないかと。
そういうこと、
まじめに考えたことなかったよ。
感受性をたもつ
あと、健康とは別に、気をつけなくちゃいけないなと思うのはさ、人ってだんだん、年齢を重ねるにつれて、
人の話を聞かなくなってくるじゃない。
それは、自分で気づいて修正できるようにならないといけないと思う。
やっぱり、感覚って鈍くなってくるのかな?
うん、年をとると感受性の幅は狭くなるように思う。
事実、辛いことがあっても多少のことでは
傷ついたりしなくなった。
あ、それはいい意味で、
ある程度受け流してるんじゃないかな。
昔だったら全面的に引き受けちゃってさ、
自分が悪いんじゃないかとか、ああすれば良かったのにとか
傷ついたり落ち込んだりしていたようなことも、
最近は適宜適切に処理して顔色も変わらない、みたいな。
たしかに、10代の頃の、
ちょっとした一言ですごく傷つくみたいな脆さは
もう無くなっちゃったのかもなあ。
無いよね。
俺、ちょっとぐらい、引きずったりしたいもん。
(笑)引きずったりしたいかね!?
そういう感受性みたいなものをちゃんと保ったまま年をとりたい。
忙しくて時間がないからっていうのもあると思うけど、
せめて、時間があるときくらいはちゃんと。
今年も、パラサイヨのツアーで
CMSP(フィリピンの孤児院)を訪問したんだけどさ、
また子供たちに会えるっていう喜びももちろんあるんだけど、
それ以上に、一緒に行った、若者たちの反応とか感受性にやられた。
ういういしい?
ういういしいどころか。
自分が失ってしまった感受性を持っているなと。
帰りのバスで、「今日どういうことを感じた?」とかって
新しく参加したメンバーたちに話しをしてもらう場面があって、
その時に、10代とか20代の人たちがさ、心の底から発する言葉の新鮮なこと。
おお、おお。
俺はもうそれを聞きながら、心を揺さぶられてるわけよ。
俺、フィリピンまでわざわざ来た甲斐があったなって思った。
あの感受性は、素晴らしいね。
そんなの聞いたら、オレ、
自分が汚れてしまってる感じがして、
イヤんなっちゃうんじゃないかな。
汚れてるって気はしないんだけど、
やっぱり、40にもなると感受性が固くなっちゃうんじゃないかなあ。
ちょっとした体験では心が動かなくなっちゃっててさ。
でも、ああいう子たちの心の柔らかさとかに触れると、
やっぱり蘇るものがあるし、自分を省るところもあるよ。
そうか。
でもオレね、歳をとってからのほうが、
昔だったら響かなかったところで
涙もろくなっている部分があるってのも感じる。
あ、なるほど。
とくに家族に関することとか。
10代とか20代ではたいして思い入れもなかったけど、
今は、そういうテーマになると弱い。
それもあるかもしれない。
テレビドラマですら涙が出る頻度は高くなっているもんね。
それは向いている方向が自分じゃなくなったってことなんだろうな。
自分じゃなくなった、
というと?
若い時っていうのは、自分が柔らかいんだよ。
今は、自分が固くなってきていて、
柔らかいものを受けて響いてる、って感じがする。
だから、泣く時に自分のために泣いてるんじゃないんだよね。
「悔しい」とか「なんであんなことされたんじゃー」
とかっていうのでは泣かない。
たしかに、自分のことで傷ついたり泣いたり、
っていうことは少なくなったなあ。
その分、ええ話しや、みたいなことで、
ジーンと響くことは増えたけどね。
うん、それはまあ、
歳を重ねることの良い面かもな。
なにか、飲み物追加注文しようと思うんだけど、
このお店、熱燗ってある?
いや、ここ一応イタリアンだからね(笑)。
じゃ、ちょっと、場所変えようか。
(近くの居酒屋に移動)
あっきー!
この店はあったけーなあ。
さっきは、完全にアウトドアだったから。
そういえば、もりりんが山好きなのは、
山の何が好きなの?
はっきり言って、
山が見えただけで嬉しい。
あ、もう山を見ただけで。
電車に乗ってる時とか、
山が見えると、それだけでもう、すごく嬉しいのよ。
理屈じゃなく目が離せない。
だから、車を運転している時なんかはけっこう危ない。
登ってもいないのに、
もう、見た目から好きなんだね。
子供の頃から好きだった。
小学生のころ、住んでたところから遠くにいつも山が見えて、
今思えば丹沢なんだけど、冬の朝なんかに山肌がくっきり見えたりすると
本当にきれいで、ずっと眺めていたかったような記憶がある。
あと、山の中にいる時は、これはもうとても気持ちがいい。
マイナスイオンだとか、緑があるから、とかあるのかもしれないけどさ、
そういうのはわからないんだけど、
まあ、とにかくなんか気持ちがいいわけよ。
それは、やっぱり理屈じゃないね。
あと、もうひとつ、理屈っぽく言うと、
プロジェクトとしての魅力がある。
地図を見て、計画を立てて、歩くコースや行動時間を決めて、
その上で装備や食料を準備する。
自分の体力もちゃんと測らないといけないし、
困難があっても自分の体一つで解決していくわけだから、
そのことがやっぱり楽しい。
旅行も好きなんだけど、その難易度が高いバージョンかもしれない。
ヘマすると自分に跳ね返ってくるしさ。
その、自分に跳ね返ってくる、
ってところも、好きなわけだね。
そう、
お金も携帯電話も使わないし、
救急車呼んでも来ないし、
食い物は持ってるものしか食えないし、
水は飲み終わったら終わっちゃうし、
道外れれば迷うし、転べば谷底だし、
みたいなのはやっぱり、
これもまた、気持ちがいい。
ゆっくりが心地いい
もりりんは、もう一度、10年前とか20年前に戻って
やり直したいって思うことある?
あんまりそういうことはないんだけど、
今の自分の知識を持ったまま、
もう一度新卒として仕事やったら面白いんだろうなとは思う。
そういう夢を、たまに見るよ。
どこかの会社に新人として入社する、みたいな夢。
そうなったら、楽しいだろう。
新卒なのに、スキルは身についているし、
精神的にも打たれ強いわけだし。
でも、仮にもう一度戻れたとして、
自分がやったことと違うことが出来るかっていったら、出来ないんだろうな。
同世代でも、若くして華々しい成果を出したり、
有名になった人たちもいるけれども、
あれは俺は何度人生を繰り返したとしても出来ない気がする。
それは、性格的にっていうこと?
その時点での自分のスキルのことかな。
スキルとか能力もそうだし、マインド面でも。
20代で起業して上場して、って人もいるけど、
俺は、もうちょいゆっくりやりたい。
そっちのほうが心地いいんだと思う。
心地いい。
成果に向かって最短距離を走ることが、
どうも苦手なんだと思う。
そうなんだ?
もちろん最短距離で成果を目指していくような選択肢もあったと思うけど、
そうしたら俺、あまり楽しくなかったと思う。
だからたとえば、一般的に名を世に知られるような成功があるとして、
そういうのは、自分には時間がかかると思う。
ゆっくりが心地いいってのは面白いなあ。
それは、もりりんだからこそ出てくる言葉だと思うよ。
本質的な部分だと思う。
成果とは不要なところまで、
その、全段階を味わっちゃうんだろうなあ。
ゴールに行き着くまでのプロセスを。
結果をどんどん出して行くべきだとも思うんだけど、
どうやってゴールに速く着くかということだけじゃなくて、
道中もしっかり楽しみたいんだろうね。
まっすぐに家に帰るんじゃなくて、
無駄な散歩して、銭湯入って、一杯ひっかけていく、
っていう、遊びなんだよな。
一直線に行っちゃうと、その遊びが無くなっちゃう。
意外と、その遊びが好きなんだろうなあ。
「引きずったりしてみたい」とか思ったりね。
わはははは!そうそう。
「引きずる」とか無駄じゃん。
でも、それを味わってみたくなる。
山登ってる時もそうなのかな。
頂上にたどり着くということよりも、
登ってる途中が楽しい?
そうだね、
事前に計画立ててる時とか、
途中の寄り道とか。
頂上にはあまり長いこといないから。
それはやっぱり、ちょっと似てるんだろうな。
だから、健康が大事だと思うんだよね。
時間かかっちゃうから、人よりも現役が長くないと。
(2014年12月 自由が丘「ラ・ボエム」にて)
【清水宣晶からの紹介】
もりりんほど、同じチームにいて心強い存在はいないだろう。
平時には縁の下の力持ちとして、人の気づかないほころびをガッチリと固めていて、いざピンチの時には必ず現れ、それを打開するための力になってくれる。
守って良し、攻めて良しの、将棋の駒で言えば「馬」のような安定感だ。
もりりんといて思うのは、その場面場面に応じて返ってくる反応が、見事なまでに的確だということだ。どのタイミングでも、機知とユーモアにあふれた「これしかない」と思う一言を発してくれるし、そのように行動をしてくれる。
前回、もりりんに話しを聞いたのは7年前だ。
若い時分から既に長者の風格があったもりりんだけれども、そこからさらに経験を重ねてきたことで、より磨きがかかっている感じがする。
これから先、その時々の気づきを彼と話すことが、僕の楽しみになるだろうと思う。
もりりんほど、同じチームにいて心強い存在はいないだろう。
平時には縁の下の力持ちとして、人の気づかないほころびをガッチリと固めていて、いざピンチの時には必ず現れ、それを打開するための力になってくれる。
守って良し、攻めて良しの、将棋の駒で言えば「馬」のような安定感だ。
もりりんといて思うのは、その場面場面に応じて返ってくる反応が、見事なまでに的確だということだ。どのタイミングでも、機知とユーモアにあふれた「これしかない」と思う一言を発してくれるし、そのように行動をしてくれる。
前回、もりりんに話しを聞いたのは7年前だ。
若い時分から既に長者の風格があったもりりんだけれども、そこからさらに経験を重ねてきたことで、より磨きがかかっている感じがする。
これから先、その時々の気づきを彼と話すことが、僕の楽しみになるだろうと思う。