大槻美菜
好きなお笑い:ラーメンズ 好きな脚本家:三谷幸喜 好きな踊り:ジャズ、ロック 好きな演者:戸田恵子、市村正親、浅野和之、八島智人、堀内敬子 好きな作家:山崎豊子、宮部みゆき、東野圭吾 好きな言葉:思い立ったが吉日、鉄は熱いうちに打て、一期一会 好きなもの:白い紙、水族館 好きな瞬間:気の置けない仲間と何かの企画を真剣に話している時 |
同じ土俵で戦わない
(清水宣晶:) 美菜を見てて思うんだけどさ、美菜は、競争が激しいところに行くんじゃなくて、
自分を活かせる場所を見つけて、選んでる気がするね。
(大槻美菜:) そうかも。
それはたぶん、私が、
めちゃくちゃ負けず嫌いっていうのがあるからだと思う。
ほうほう。
負けず嫌いだから?
故事で、「鶏口となるも牛後となるなかれ」
って言葉あるじゃない?
大きい組織に所属して、その一部になって動くよりも、
小さい組織でもトップランナーであるほうが、
百万倍、いきいきとするのね。
わかるなあ。
オレも似たところあると思うんだけど、
人に言われてやるよりも、
自分の好きなようにやりたいんだろうね。
それは絶対、間違いない。
私、人が当たり前に出来ることが出来ないのよ。
あ、そう!?
だから普通に、一般的な土俵で戦うと、
勝てないことが多い(笑)。
なるほど、いわゆる、
大企業の出世コースみたいなのには、
乗れない感じなんだ?
絶対ダメだ!
それは、会社に入ってひしひしと感じたし、
私、一生出世はできないって思った。
ぶはははは!
企業という土俵で勝負したら、
ぜんぜんがんばれないし、
私がなんのためにこの世に生まれてきたのかわかんない、
と思って。
なるほどなあ。
行政書士になる前に、
いろんな人からよく聞いていたのは、
「行政書士は、業界の体質が古いし、
平均年収も低いし、とにかく食えない士業だよ」
ってことだったのね。
そうなんだ?
業界としては、たしかに古いんだろうね。
でもわたし、それが結構興味をもったポイントなの。
一般論だけど、苦しい業界とかって、
そういう中からエッジがきいたものが生まれることが、
よくあるでしょ?
だから、意外と面白いかもしれない、って思った。
やっぱり、逆張りなんだなあ。
今はIT業界が伸びてるからそこに行こう、
みたいな思考じゃないんだね。
全くそういうふうには思わない。
普通の人が出来ることが出来ないっていう自信があるから、
そんなところに行ってしまったら、勝てる自信はないもん。
実際に、行政書士に
なってみてどうだった?
まず、聞いていたほどには、厳しい業界じゃないなって思った。
たしかに、古めの体質ではあるんだけど、
マーケットは、ある程度は守られてるし、
ちゃんと工夫をして取り組めば、ちゃんと結果が出るんだよね。
普通のビジネスで起業して、
大変な思いをしている起業家さんたちをたくさん見てきたから、
相当な覚悟をしたつもりで臨んだんだけど、
そこまでじゃなかったな、って。
なるほど。
それも、向き不向きはあって、
自分で考える人には向いてる環境なんだろうね。
士業の資格を取る動機として、
営業が苦手で、手に職をつけたいからなる、
っていう話もときどき聞くんだけど、
でも、それはけっこう難しい問題だよね。
だって、士業も、営業しなくちゃお客様来ないもの。
そうだよな。
乱暴なことを言ってしまえば、
仕事ができる人と、仕事がとれる人は、
必ずしもイコールじゃないんだよね。
でも結局は、仕事をとれる人が、実績を積める分、
結果的に、仕事が出来る人、になっていくんだと思う。
どれだけ能力がある人でも、
そのことが伝わらなかったら意味がないからね。
普通のビジネスだと、仕事がないときには、
営業方法を工夫すると思うんだよね。
でもなぜか士業の場合は、
「仕事が無いのは仕事の能力が足りないからだ」
っていう風に考えて、
仕事の中身の勉強をする人が多いと思う。
もちろんそれも大事だし、必要だけど、
どうやったら仕事を取れるか、って
真剣に考えている人って、意外と多くないんだよね。
そういうことか。
ただ、裏を返せば、
そんなわけで、こんな私でも仕事ができています、
サンキュー!
みたいな。
ぶはははは!
それ、シマウマの群れの中に
肉食獣が混ざっちゃったイメージだよ。
ええーーーー!
そんなに乱獲できてないよ(笑)
でも、間違いなく、工夫できる余地が
まだまだたくさんある業界だとは思うな。
自分の工夫次第で、
いくらでも仕事のやり方を変えられるっていうのは、
面白いところだろうね。
そうなんだよね。
美菜は、野菜ソムリエとか、
全然関係なさそうなこともやってるけど、
そういうのも、意図してやってることなの?
それは、あまり考えてなくて、
興味があることは、気にせずやっちゃう。
これは今やってることとシナジーがあるかな、
とかは、なるべく考えないようにしてる。
条件を先に考えて、やることを選ぶと、
未来の世界が狭まっちゃう気がして。
ほうほう。
私は、自分の本能を信じてるところがあって。
本能って、自分の中の、
最も確率の高い統計学だと思ってるのね。
なるほどなあ。
無意識の体験とかも含めた、
個人的な統計だよね。
本能が「これやりたい」って思ってるんだったら、
その時点の自分の思考レベルでは、
やる意味があんまりわかってなくても、
よしやっちゃおう!っていう感じ。
うんうん。
で、やっちゃったら、
その後は、せっかくだから、
何かシナジーになることがないかな、って
無意識的に探してるのかもしれない。
だから、結果的に、
なんとなくつながるところがあるんだろうね。
それはわかるなあ。
最初に条件で選ばないっていうのはいいんだろうな。
頭で思いつくぐらいのことって、意外性がないし、
あんまり予想外のジャンプにはならないものね。
人と同じ土俵になると負けるから、
なるべく、そこは避けようとしてる。
自分らしく、自分を活かしやすい土俵を探してるね。
その視点は、これから就職する人にあるといいんだろうな。
雑誌の「人気の企業ランキング」とか見て決めると、
ものすごく競争激しいところに行っちゃうわけじゃない。
そうだね。
まあでも、こればっかりは、性格だからね。
自分は大勢の中の一人でも、
みんなで大きいことやってるほうが楽しい、
っていう人ももちろんいるじゃない?
それぞれの価値観だからね。
たしかに、そうだな。
世の中に対して、大きな影響を与えられる会社で
働くっていうことに生きがいを感じるのも、ありだよね。
私は、負けず嫌いの欲求が強いから、
どうしても、鶏口牛後の方向に行っちゃうんだけど。
今、この瞬間しかない
先月、ラスベガスに行った時、シルク・ドゥ・ソレイユの公演は観てきた?
あ、そうそう!
めちゃよかったよ。
シルクの感動の元になってるのは、
実際に目の前で演じているっていうライブ感だよなあ。
前回、美菜に話しを聞いた時、
「ライブ」派か「録音」派かでいうと、
美菜は「ライブ」派だ、っていう話ししたの覚えてる?
覚えてる、覚えてる。
やっぱり、ライブのほうが全然好き。
で、自分がやることも含めて、
出演するほうと作るほうだったら、
作るほうが好きだな。
その、同じ「作る」でも、
紘一(吉村紘一)とはタイプが違う、
って話しもしたね。
そう、紘一とは考えていることが似てることも多くて
よく話しをするんだけど、
彼は、形に残るものだとか、
後世に残るものに意欲が湧くところがあって、
でも私の場合は、今しか見えないものとか、
消えて無くなってしまうもの、が好きなんだよね。
オレは、それでいうと形に残したいタイプで、
インタビューもそうなんだけど、
言葉っていう消えて無くなってしまうものを、
なんとか形にして留めておきたい、
っていう動機でやってるんだと思う。
私も、録画をしたり、記録に残したりはするんだけど、
やっぱり、ライブの瞬間は別物なんだよね。
なんか、後に残せると思ってやるものと、
「今、この瞬間しか出来ない」って思ってやるものって、
投入するパワーが違う気がして。
今、このチャンスのみであると思うから、
ものすごいエネルギーを注げる気がする。
そうか。
その一回性を、本当に感じながら
やってるんだな。
自分が去年企画してやった、ダンスの舞台でも、
何度も同じものが出来ると思ったら、
多分、あそこまでやらなかったと思うわけ。
あくまでも、自分の中での努力の話なんだけどね。
この一回を最高の一回にするために
全力投球する、というものが好き、っていう感じかな。
長いこと続けていこう、っていうんじゃなくて、
一回に全力投球するタイプなんだね。
そう、続けるっていうことを前提にした時点で、
頭がキュッて狭まる感じがある。
ちょっと、
今の話と関係あるかもしれないんだけど、
オレが思う、美菜の特徴として、
「後先考えない」ところがあると思うんだよ。
あるある!
なんとなく、人間関係とかでも、
ここで揉め事を起こすと後で面倒だろう、
みたいな時でも、それでもなお、
「あ、それ言っちゃうんだ」っていう、
思い切りの良さがあるんじゃないかなと思って。
あるね。
それも、感覚的には似ていて。
後先を考えて、今ここで遠慮しちゃうような関係性だったら、
そんなもの、私にとっては重要じゃないって思っちゃう。
それは、同じように、長く続けることよりも、
「今、この瞬間」を大事にしてるってことなんだろうな。
今とりつくろうことで、たしかに、
ふわっとは続くかもしれないかもしれないけど、
結局それって真の関係じゃないから、
そんなものが続いても意味がないって思うんだよね。
今感じた違和感とか、これってなんだろう?みたいな気持ちを、
そこでセーブするような関係は、
私にとっては、あまり重要じゃない関係になっちゃうから。
熱いなあ!!
なんか、心がグッとくるようなコミュニケーションが
あるほうが楽しいって思うのかな。
その人自身が、精一杯の状態が好き。
(笑)うんうん。
グッとくるようなコミュニケーションか。
自分の中に、枠みたいなものがあったときに、
そこに触れてくるような関わりがあった時に、
グッとくるわけ。
本気度ってことだね。
私にとっては、
それが相手に対する、誠意なんだけどね。
わかってきたなあ。
自分を守らずに、
全力で飛び込んでるかどうかってことか。
そうそう。
そうすると、おのずと、ぶつかっちゃったりとか、
衝突しちゃったりとかもあるんだけど、
そこを恐れることによって、
相手とちゃんと向き合わなくなる気がして。
自分を守っている範囲の中での
コミュニケーションだと、
つまんない、って思っちゃうんだよね。
なんか、言葉でうまく表現できないんだけど。
わかるわかる。
そこは理屈じゃないんだろうな。
本気さによって、響くものはあるよね。
響かないコミュニケーションは、
娯楽としては楽しいんだけど、
自分の人生には役に立たないから。
あんまり、私の中では価値として残らないんだよね。
なるほど、娯楽か。
娯楽っていったら、
ちょっと言い過ぎかもしれないんだけど(笑)。
いや、まあでも、そういうことだよな。
気晴らしとかじゃなくて、
ほんとに自分の身になるものを求めてるってことだね。
今がなければ先がない、っていうのはあるかも。
今を守った未来は、価値がない未来だ、
って思ってる。
自分と宇宙の一筆書き
美菜が「ライブが好き」っていうことと、その、今を生きている感覚って、
根っこは似てるんだよね。
時間としては一瞬であっても、
こう、ガッとした山が欲しいわけでしょ。
そうそうそう。
それ、昔っからそうだった?
学生時代のダンスの経験は大きいかもね。
365日のうち、本番はたった一日で、
あとの364日は準備してるわけでしょ。
その中でも、もちろんいろんなドラマはあるわけだけど、
本番の舞台に立った時の体験っていうのは、
なにをどうひっくり返しても体験出来ないような
ものだったんだよね。
他では絶対代替できないっていうかさ。
そうか、そういう、
自分が体験した実感からきてるんだな。
やっぱり、一回限りだったからだと思うんだよね。
失敗は取り戻せないし、体調不良で欠員が出ても、
どんなアクシデントがあっても、
時間が来ればお客さんはやってくるし。
で、舞台にのぞんで、
その時、その瞬間のお客さんのワーッていう熱気と、
踊る側のステージの上の人間の一体感と、
照明さんとか音響さんとかのサポートに支えられている感じと。
今、この瞬間を絶対素晴らしいものにするぞ!みたいな。
一瞬で、すべてが一つになる感じ?
大げさなんだけど、宇宙に溶け込むような感じがあるんだよね。
マジですか!
こういうと、ちょっと怪しい感じがあるんだけど。
自分と宇宙が一筆書きになったような感じっていうのかな。
わかる?
おおお、、それはすごいぞ。
「自分と宇宙が一筆書き」?
なんていうのかな。
溶けてなくなっちゃったわけじゃなく、
自分はあるんだけど、
すべてがつながっていて一つになった、みたいな。
一瞬だけね。
それは、悟りだね。
それがもう、やみつきになっちゃってるわけだな。
自分がステージを作る立場になってからは、特にそうだね。
お客さんそれぞれがきっと
感じてくれているであろうフィーリングとか、
サポートしてくれてる技術スタッフの人たちの想いとか、
一緒にステージに乗ってるメンバーとか、
この環境を自分たちで作ってきた、っていう感覚とか、
いろんなものが、スッと一つになる感じがあるんだよね。
アスリートが極限まで集中した時の、
研ぎ澄まされた感覚みたいな。
思い込みかもしれないんだけど。
でも、お客さん一人ひとりの心に触れられた感じが
することがある。
なるほど。
その感覚はやっぱり、
ライブじゃないと生まれないものだね。
幕が開いてから、時間とともに、
お客さんと作り上げていくものだからね。
来た時は、お客さんと私たちって当然別の場所にいるし、
心もそんなに開いてないと思うんだけど、
時間がたつにつれてお客さんの心が動いてくるじゃん。
なんか、そういうのが好き。
舞台っていうのは、
ステージと客席が同じ場を共有してるからこそ
生まれるものってのがあるんだろうな。
逆に、私がお客として舞台を観ていた時の話なんだけど、
『ジキル&ハイド』っていう舞台がすごく好きで、
4回観に行ったうち、主演の鹿賀丈史に、
「神が降りた」ってこういうことか!って思った瞬間が、
1回あったのね。
それは、舞台の中の一場面で感じたの?
ストーリーの後半で、
鹿賀丈史が、自分の中のジキルとハイドが混乱して、
こっちを向いたらジキルで、こっちを向いたらハイド、
みたいな演技をするシーンがあるのね。
で、もちろんどの回も同じようにやっているんだけど。
うんうん。
でもその中で、ある時はね、
もう本当に、完全に、
別人格が乗り移ったとしか思えなかったことがあって、
これはスゴいものを見たな!って感じだったんだよね。
別の人格が憑依してる状態だったんだろうな。
「神が降りた」って言うけど、
要するに、それって、狂気と紙一重のものだよね。
そうそう!
狂気。
さっき言ってた、美菜が求めている、
枠いっぱいいっぱいのコミュニケーションっていうのも、
言い換えれば、狂気なんじゃないかな。
え、狂気!?
たぶん、そこを求めてるところはあるよ。
それぐらいの、枠ギリギリのところにくると、
グッと心を掴まれるんじゃない?
なるほどー。
確かに、そこまでやるか、っていうところに、
感動を感じるのかもしれないね。
同じことの、
表現の違いなんじゃないかとも思うんだけど、
さっき言ってた、
「宇宙と一筆書きになった感覚」ってのも、
一種の憑依みたいな状態なのかもね。
いいとか悪いとか、そうでありたい、とかじゃないんだけど、
自分が、媒体みたいに感じられる瞬間が、たまにあるの。
ちょっとあやしいこと言ってるかもしれないんだけど、
自分が何かを媒介する役目になった感じ、っていうか。
なにかにコントロールされてるような感じなのかな。
そう、自動的に動くものに乗せられてスーッと動くみたいな。
自分の意思とか関係なくモチベーションが上がるし、
やるしかない、っていう感じで、突き動かされる感覚があって。
そういう時って、物事が、ことごとく上手く進むし、
自分がやりたくてやってるというよりは、
もはや、やることが決められているのでやっている
みたいな感覚があるんだよね。
この感覚は、いったい何なんだろうって思うんだけどね。
なるほどなあ。
そういう時って気分いいの?
んー、気分がいいってわけじゃないんだよね。
自分の存在というか個性というか、
そういうものがなくなっちゃうような感じでもあるから、
ちょっと怖かったりもするんだけど。
ただ、「これは何なんだろう」って思ってる。
やっぱり、美菜の興味っていうのは、
そういうところに向いてるんだろうね。
自我とか、人の内側の宇宙みたいな部分に。
小さい頃からずっとそうだったんだけど、
なんで私ってここにいるのかな、とか、
自分って何なんだろうみたいなことばっかり考えてたなあ。
だから、美菜の話しは面白いんだな。
なんか今日は、前回の話しともつながりがありながら、
より深いところの話しを聞けて、すごく良かった。
(2013年6月 中目黒「FRAMES」にて)
【清水宣晶からの紹介】
美菜には、何をテーマに聞いても、尽きることなく次々と面白い話しが出てくる。聞き手として、これほど話しを聞きやすい相手はいない。
話しをしていて気持ちいいのは、物事の好き嫌いがとてもはっきりしているからで、しかも、自分が好きなことや、大切と思うことについて、ひとつひとつおろそかにせずに、時間をかけて取り組んできたことが、よく伝わってくるからだ。(2009年4月)
美菜は「結婚パーティーの幹事をやること」がライフワークなんじゃないかというぐらいに、たくさんの友人のパーティーを企画してきた人で、僕も、結婚式の時には、とてもお世話になった。
彼女自身の結婚パーティーも、大がかりな仕掛け満載の印象深いもので、「どうやってその場にいる人を楽しませよう」と考えることに無上の楽しさを感じるところは、単なる表現者という枠にとどまらない、根っからのエンタテイナーなのだと思う。
舞台や、場を演出するということにかけては、誰よりも豊富な経験とアイデアを持っていて、その熱意に巻き込まれた観客や周りの人々に、楽しい気持ちが伝播していく様子を、僕は何度も見てきた。
それは、美菜が、心の内側と対話をして、目には見えないもののことをずっと考え続けてきたことの、ひとつの成果なのだろうと、僕は思っている。(2013年7月)
美菜には、何をテーマに聞いても、尽きることなく次々と面白い話しが出てくる。聞き手として、これほど話しを聞きやすい相手はいない。
話しをしていて気持ちいいのは、物事の好き嫌いがとてもはっきりしているからで、しかも、自分が好きなことや、大切と思うことについて、ひとつひとつおろそかにせずに、時間をかけて取り組んできたことが、よく伝わってくるからだ。(2009年4月)
美菜は「結婚パーティーの幹事をやること」がライフワークなんじゃないかというぐらいに、たくさんの友人のパーティーを企画してきた人で、僕も、結婚式の時には、とてもお世話になった。
彼女自身の結婚パーティーも、大がかりな仕掛け満載の印象深いもので、「どうやってその場にいる人を楽しませよう」と考えることに無上の楽しさを感じるところは、単なる表現者という枠にとどまらない、根っからのエンタテイナーなのだと思う。
舞台や、場を演出するということにかけては、誰よりも豊富な経験とアイデアを持っていて、その熱意に巻き込まれた観客や周りの人々に、楽しい気持ちが伝播していく様子を、僕は何度も見てきた。
それは、美菜が、心の内側と対話をして、目には見えないもののことをずっと考え続けてきたことの、ひとつの成果なのだろうと、僕は思っている。(2013年7月)