山崎繭加

1978年1月23日逗子生まれ。新宿で育つ。
新卒で入社したマッキンゼー・アンド・カンパニーでは、組織変革、人材育成、米企業日本進出など様々なプロジェクトに関与。
その後東京大学先端技術研究センターへ転職し、「安全・安心」をキーワードに大学・企業・官庁・報道間の知的・人的連携を促進するプロジェクトを立ち上げ、運営。
2006年秋からは、ハーバード・ビジネス・スクールのスタッフとして、日本の企業についてのケース・スタディを書く仕事をしている。
趣味はフラメンコと華道。
東京大学経済学部、ジョージタウン大学国際関係大学院卒業。

ブログ「まゆかかく」
http://mayukakaku.seesaa.net/
(2008年2月 恵比寿アトレにて)

マッキンゼーという会社

(清水宣晶:) 最初に会社に勤めた時って、キャリアパスって考えてた?

(山崎繭加:) 全然(笑)。
始めた入社した時は、3年以上先のことは何一つ考えてなかったな。

今まで、転職とか留学を決めた時って、思いついてから実際に動くまでの間って早かった?

マッキンゼーを辞めた時は、決めてから一週間で辞めた。

一週間?それって、普通のことなの?

あんまり、普通じゃないと思う。
リロケーションっていう素晴らしい制度がマッキンゼーにはあって。
2ヶ月くらいの間、給料をもらいながら、次の勤め先とかを探すことに専念していい、っていう制度があるの。

ホント!?
それは転職を推奨しているってこと?

推奨っていうか、
まあ、いつか転職するもの、っていうことが前提になってるのかな。

なんでそういう制度があるんだろうね。
ある程度、社内の人材を流動させたいってことなのかな?

中途半端にプロジェクト中に転職活動をされるよりは、そうやってきっちり、活動期間を用意するってことなのかも知れないけれど。
でも、実際には、多くの人は、もう転職先が決まった上で、リロケーションの期間だけをもらったりもするのね。
私は、すごく急に次が決まったから、リロケーションの期間は活用出来なかったけれど。

他の外資もそういう感じなの?

他はどうなんだろう。
最近、また他の会社に行った後にマッキンゼーに戻ってくる、出戻りの人が多いのね。

その、出戻りってのは、普通に入社するよりもやりやすいの?

もちろん辞めた時の辞め方にもよるんだけど、それに問題がなかったら、もともと仕事のやり方もよくわかってるわけだし、歓迎されるよね。

それは、いい社風だと思うな。
他の会社の仕事のやり方をノウハウとして身につけた上で戻ってくるってことでもあるしなあ。
会社ってなるべく社員を転職させないように囲いこもうとするけど、むしろ、上手いこと転職をしてもらえば、社外のネットワークが広がるわけだから、会社にとってもプラスになるよね。

そう。それは、意図しているんだかわからないけれど、
卒業生(会社を辞めて転職した人)同士の関係は、すごくいいね。

心の声を聞くということ

アメリカに留学した時って、何を勉強していたの?

安全保障。
ずっとやりたくて、学生の時から興味を持ってたんだけど、その分野で就職って思いつかなかったし。

安全保障じゃ、企業じゃなくて、国の問題になってくるからなあ。

国になっちゃうからね。
官僚組織ってあまり好きじゃなかったから。
アフガニスタンとか、ナイン・イレブンとか見て、今勉強したいなって思ったんだよね。

今やっている仕事や、やろうとしていることは、安全保障とはつながってるの?

そのまま突き進もうと考えていたんだけれど、
安全保障は、続けられなくなって、いったん挫折したの。

ん?何があったの?

2年間の留学が終わった頃に、モロッコでやってた世界音楽祭っていうのに連れていってもらう機会があったんだけど、そこには、色々な宗教関係の人とか、カンヌでグランプリをとったような映画監督の人たちがたくさん来てたのね。
そういう人たちの前で、「私は、インターナショナルセキュリティを勉強しています」って言っても、その先が何も言えなくなっちゃったの。
私って、語れるものが何もないなあ、って思っちゃって。

それは、勉強をしたけれど、まだ実績がなかったから、っていうこと?

うん、それもあるし、思いが足りないということに気づいた。
そこで、自分はこれでいい、って思って積み上げてきたものが全部、ガシャーンって崩れて。
それは、悪い意味じゃなくて、いったんリセットされたっていうことでね。

そうだったのか。

烈(藤沢烈)とか、他の友達とかを見ていて、人はある一つの分野を見つけてそれを追いかけてないといけない、とか、社会のためにならなきゃいけないとかっていう思いが先行しちゃって。

それで、自分の場合は、安全保障をテーマにしたいって思ったんだね。

うん、それで行くしかない、って
自分で自分をだました、というか。

ああ、そうか。
心の底からやりたいというよりは、
今そういう流れで来てるから、今やってることを極めなきゃ、って思ったんだ?

そうだね。
本当の心の声を聞いてなかったんだね。

今は、その声が聞こえてくるのを待ってるところなんだ?

んー、、。その時は、何か、代わりになる別のものを見つけなきゃ、って思ってたんだけど、今は、別にそうでもなくて。
これまで生きてきて、「どうしてもこれがやりたい」っていうことがないんだったら、たぶんそれは私にはなくて、世の中には、そういうことがないタイプもいるんだろうと思う。
ムリして見つけようとするんじゃなくて、社会との関わりの中で、自分が今持っているものをちゃんと使っていく、っていう風でもいいんじゃないかと思って。

こうあるべき、って最初から決めちゃうんじゃなくて、流れに身をまかせるってことだね。
ちょうど、昨日読んだ「シンクロニシティ」って本に書いてあったことなんだけど、自分で自分の人生を支配しようとするほどうまくいかない、って。
逆に、支配しようとせずに、大きな流れに身をゆだねた時に、やるべきことが自然と出来るようになるって書いてあって、そういうものなんだろうと思ったよ。

そう思う。
きっと、自分の頭でわかる程のことって、すごくつまらないことで。
人生って、自分で自分のことがわかってしまうほどつまらなくないよね、って思うな。
(2008年2月 恵比寿アトレにて)

清水宣晶からの紹介】
まゆかについて知れば知るほど、その内に多くの鉱脈と泉脈を蓄えているということに気付かされる。人は彼女を才媛と呼ぶかもしれないけれど、そういう一言では片付けられない、一本気な情熱が、彼女の中にはある。

通訳をこなすほどに英語に習熟している彼女は、しかし、帰国子女ではない。才能が有るとか無いとか、そんなことは関係なく、12歳の頃から毎日ひたすら英語を聴き続けて、時間をかけて熟成させた結果、必要な力を身につけたのだ。

だから、まゆかは、自分のペースで着実に進んでいくことの大切さを知っている。現在進行形で、少しずつ自分の枠を広げていきながら、何らかの創造をしようとしている。本当の表現者というのは、こういうものなのだろうと思う。

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