高橋慶

東京・神奈川を拠点にピアノの弾き語り活動を続けている高橋慶です。
一人でも多くの方に、僕のオリジナルソングを届けたいと願っています。
いつかライブハウスで皆さんとお会いする日を心待ちにしています。
https://www.youtube.com/@kmanchannel1472
(2009年7月 自由が丘「ラ・ボエム」にて)

音楽との出会い

(清水宣晶:) 慶が、最初に音楽に興味を持ったのっては、
いつ頃からだったの?

(高橋慶:) 音楽に関しては、アキト(小学校時代の共通のクラスメート)の影響がすごく大きいんだよ。
彼が、高校生の時に色々な曲を聴かせてくれてね。

アキトか!
やたら音楽に詳しかったよね。

そう、雑誌とかたくさん読んで情報収集もしてたし、
誰よりも色々なこと知ってたんだよ。

オレも、中学生の頃、
通学途中に、アキトに色々な音楽を聴かせてもらってたけど、
あん時は、ほとんど良さがわからなかったな。

高校一年の時に、オフコースの曲を薦めてもらったのがきっかけで、
それにすごくハマって。

高校生だと、オフコースが解散して、
小田和正が「東京ラブストーリー」の曲出してた頃だね。

それまで全然音楽も知らないし、興味もなかったから、
その新しい世界が、自分にとってすごく新鮮だったんだよ。
それで、その次に、高校三年の時に出会ったのがクイーンで。
一年間浪人してる時は、ほとんどクイーンの曲ばっか聴いてた。

そのさ、音楽を聴いて楽しむ側から、
自分自身が音楽を作る側になろうとしたきっかけってあったの?

なんか、カッコつけた言い方になっちゃうんだけど、
俺の場合は、音楽と出会って、やっぱり人生が変わったんだ。

おお!
そんなに影響大きかったんだ?

高一とか高二の頃なんて、何もやることないって感じで、
家帰って、ファミコンやって、面白くない勉強やって。
一生懸命になれるものが見つからなくて、「何で生きてんの?」みたいな気持ちだったんだよ。

うんうん。

受験勉強で行き詰ってる時になんかに、予備校の帰りにクイーンの曲を聴いた時に、パーッて世界が明るくなって。
現実逃避なのかも知れないんだけどさ、
それで元気になって、また頑張ろうっていう気になったんだよ。

その感じは、すごくわかるな。

誰かの情熱が、人の人生を、そうやっていい方向に持っていくのはすごい力だな、と思って。
それで俺も、誰かが感動するような音楽を作りたいって思ったのが最初だったな。

それは、そういう音楽に出会った時期も良かったんだろうね。

そうだね。
ある意味、自分の中に何にもなかったからさ。
それで余計に、ストレートに入ってきたっていうのはあると思う。

ピアノの記憶

慶は、小さい頃にピアノをやってたんだよね。
オレ、あんまし弾いてるのを見たことなかったんだけど。

やってたのは幼稚園の頃からなんだけど、
それが当時は、すごく嫌いでさ。
小学校4年の時に「やめさせてくれ!」って言って、そこでやめた。

よく、合唱コンクールみたいのがあると、
ピアノが上手い子が伴奏をやったりとかしてたじゃない。
そういうのでも、慶が弾いてるのって見たことなかったな。

そう、ピアノ習ってる女子がよく前に出て伴奏とかしてたんだけど、
そういうのもあって、ピアノをやってるのがカッコ悪いと思ってたんだよ。

あー、わかるわかる。
ピアノなんて女の子のやるもんだ、っていう。
小学生の時って、そういうことが気になったね。

そうそう。
そういう偏見もあったし、
やっぱりピアノ自体が全然好きじゃなかったからね。
授業中に先生が「ピアノ習ってる人、手挙げて」とか言っても、無視して手挙げなかった。

(笑)そんなにマイナスイメージのものだったのか。
でも、小さい頃からピアノをやってたから、
高校の時に音楽に興味を持った後に、本格的にその道に入り込んでいくことが出来たわけだよな。

そうなんだよね。
だから、ほんと、そういうのは不思議な縁だと思うよ。

オレは当時、オルガンが弾ける人とかうらやましかったなあ。
でも、音楽の授業ってのが、つまらなくて嫌いだったんだよ。

ノリ(清水)が、音楽の授業で先生にひっぱたかれたの、今でも覚えてるよ。

オレが?
そんなことあったの!?

合唱で、ノリが指揮者になって指揮をしてた時、
手の振りがやたら大きかったから、先生が「もっと小さく振ってください」って言ったら、ふざけて、ものすごく小さく振って遊んでてさ。
そしたら、先生にビンタされてた。

あー、それは記憶にないけど、
ふざけて先生にしょっちゅう怒られてたのは覚えてるよ。

俺は、合唱の時に、
横にいた八木くんが、鼻の下にマジックでヒゲを描いてたのを見て爆笑したらビンタされた。

オレも、八木くんのトラップにはよくひっかかったなあ。
オレら、今のご時世じゃ考えられないくらい、あっけなくビンタされてたね(笑)。

今考えると、コワい先生たくさんいたよ。

そういう先生ほど、今でも思い出に残ってはいるけど。
慶は、曲の作り方の部分は、独学で勉強したの?

ジャズの専門学校に通ってたことはあるから、そこでは教えてもらった。
学校だと、まずコードの進行を考えながら作るやり方を教えるけど、
自分の場合はもっと感覚的で、最初にメロディーが浮かんで、それに合うコードを探していくような感じで作ってる。

最初に思いつくままに作って、その後に理論で調整していくって順番なんだな。
そういう思いつきって、過去に聴いた音楽の蓄積から引き出されるの?

無意識に、そういうのはあるだろうね。
自分ではそのつもりはないんだけど、気がついたらまた昔に作ったのと同じようなフレーズが出てきたりってこともあるし。
だから、曲作る時は、普通では入れないような、ひねったところを意図的に作るようにはしてる。
途中でいきなり3拍子を入れたり、転調を繰り返したり。

そういう、細かいところを詰めていくような部分では、
やっぱり音楽の理論てのは必要なの?

たとえば、転調を入れる時は、この後はこう転調出来る、みたいのはパッとわかるから便利だけどね。
でも、そういうのと関係なく作ってる人もたくさんいるし、絶対必要っていうわけじゃないんだと思う。

仕事と音楽と

慶は、就職活動の時は、
音楽を仕事にするって選択肢も考えてたの?

大学でバンドをやってた頃から、プロになりたい気持はどこかにあったけど、それを自分の中で肯定はしてなかった。
その時はまだ、どういうことをやりたいっていうイメージがなかったからね。
大学院を出た時は、まずは就職することにして、オーディオ設計の仕事をしてた。

仕事をしながら、その先のことを考えよう、と。

でも、最初に入った会社にいた時は、
やっぱり、頭の中にずっと、音楽をやりたいっていう気持ちがあって。
中途半端なままで仕事をしてたから、このままじゃダメだなって思ってて、29歳の時に、音楽に専念するために仕事を辞めたんだよ。

そうだったのか!
それは、かなり覚悟がいることだね。

好きなことに没頭出来るようにはなったんだけど、
貯金はすごい勢いでなくなるし、
やっぱり、その時はすごく怖かった。

その頃ってもう、結婚した後だったよね?

そう、それもあって、周りからだいぶ反対もされたんだけど、
あすか(奥さん)は、俺が音楽をやりたいっていうことにすごく理解があったから、そういう人と結婚出来たことは良かったと思う。

それはすごく心強いな。
あすかさんとは、音楽学校で知りあってるから、ベースのところを共有できてるわけだし。

そう、だから家で毎日ピアノを弾くことも出来たし、
そういう人じゃなかったら、俺も、仕事を辞めて音楽に専念するなんてことは出来なかったと思うな。

それはほんと、支えとして大きいと思うよ。
会社を辞めた後は、曲をずっと作ってたの?

その時は、曲を作りながらライブをたくさんやって、
デモテープをレコード会社に持ち込んで、ってことを一年間ずっとしてたんだけど。
それでわかったのは、音楽は自分にとって一番大事なものだけど、それがすべてじゃないってことだった。

一年間没頭して、その考えにたどり着いたんだな。

それで、もう一度、仕事をしながら音楽をやるっていう生活に戻ることにした。
音楽だけをひたすらやり続けてる人もいるし、そういう人をすごいと思うけど、俺はそういうタイプじゃないってわかった。
それはでも、一度仕事を辞めて、一年間音楽に没頭して初めてわかったことだったな。

そうだろうね。
前の仕事をスパッと辞めずに続けてたら、
ずっと中途半端な気持ちのままだったかもしれないな。

今やっている仕事は、充実しているし、
バランス的には、仕事をしながら、音楽を続けるっていうのが、
自分にとっては一番ちょうどいいんだと思う。

うんうん。

だから、腕はプロレベルになりたいと思うけど、
今は音楽を仕事にするプロになりたいっていうことよりも、
好きな音楽をずっと続けて、いつか「人を感動させる音楽ができるようになりたい」っていう気持ちでがんばっているよ。それが俺の原点だしね。
(2009年7月 自由が丘「ラ・ボエム」にて)

清水宣晶からの紹介】
慶は小学校の時のクラスメートで、学校が終わった後も、お互いの家に行ってよく遊んでいた。だから、その小学校時代の楽しかった記憶の多くは、分かちがたく慶と結びついている。
こうして、今話しをしていても、基本的な性格は二人とも変わってないと感じるけれど、当時は、彼が音楽に深く関わることになるということは思いもしなかった。

慶の弾き語りのライブはとても不思議で、演奏が始まった瞬間に空気が変わって、ピアノと一体になったような歌い方をする。その高く澄んだ歌声は、天賦としかいいようのないもので、本当に音楽が好きなのだということがよく伝わってくる。音楽に深く影響を受けた慶が作る音楽によって、また新たに人生が変わる人があらわれるとしたら、それはとても素晴らしいことだと思う。

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