金澤宏明
1981年4月3日、秋田県秋田市生まれ。埼玉県在住。 名前の由来はこころ広く、明るい人であるようにとのこと。 最近面白いとなあ思っているのは、子供の成長。 特に何かやり方を教えたわけでもないのに座れるようになったし、歯も生えてきたし、つかまり立ちをしようとするようになった。子供って本当にすごい。 あと、仕事としても趣味としても占いをやってます。 |
(2009年9月 新宿「タリーズ」にて)
組み立て工場での仕事
(清水宣晶:) 金澤くんといえば、まず思い浮かぶのは、その、仕事の有能さというか、事務処理能力なんだよ。
今の仕事のやり方を確立するまでに、
何か影響を受けたものってあるの?
(金澤宏明:) ホンダで働きながら学んだことっていうのは、
すごく大きかったですね。
車の組み立ての現場で働いてたんだよね。
車が、回転寿司みたいに流れてくるんですけど、
1台につき、かけられる時間が53秒しかないんですね。
2歩歩いたら1秒ぐらいかかっちゃうから、必要な部品を全部、2歩以内の場所に置くようにしたり。
ハンパなくシビアな世界だなあ。
合理主義の極みみたいな場所だね。
なんか、ちょっと楽しそうな気もするんだけど。
いやいや、とんでもないですよ。
一日に500台の車が流れてきて、500回同じことを繰り返すんですよ。
現場の同僚で45歳ぐらいの人がいたんですけど、
「金澤、あと15年の我慢だよ」って言うんです。
それ、一体どういうことなんだろう・・?って思って。
15年の我慢か!
その人とは、5年間一緒に働いてたんですけど、毎年同じ話しするんですよ。
夏になると、「この前カブト虫獲りに行った時、こんなに大きいカブト虫がいてさ」って話しを必ずして、
で、冬になると、「ミシュランのスタッドレスタイヤはすごい」って話しが始まるんですよ。
(笑)同じ話しを毎年。
季節の風物詩だね。
そう、職場の人たちも、
「彼がスタッドレスタイヤの話しをし始めたから、もう冬だね」とか言ってて。
なんか、そこにいると、時間の感覚が麻痺してくるんです。
金澤くんは、でもさ、
どこの会社に行って、どの仕事をやることになっても、
やっちゃうんじゃない?
やります、やります。
営業になろうが、なんだろうが。
そこだと思うな、
金澤くんの一番の長所っていうのは。
結局、やっちゃって、ベストを尽くすものね。
やっぱり、仕事が好きなんでしょうね。
自分のやるべき仕事をやっている時って、嬉しいんですよ。
目の前のことをやる
ホンダを辞めた当時は、何をやろうと思ってたの?あの時は、、石井さん(石井貴士)に、
「金澤くんは今なにやっても、バカなままじゃ成功しないから、
千冊読んでから何やるか決めたらいいじゃん」って言われて。
ぎゃははははは!
すごいアドバイスだなー、それ。
なるほど、それもそうだなと思って、
1日10冊ずつぐらい、ひたすら本読んでました。
清水さんたちと一緒にwebの仕事をやるようになってから、
時間的に、あんまりたくさん読めなくなってきたんですけど、
1年で700冊ぐらい読みましたね。
素直にやっちゃうところがすごいよ、実際。
その時に読んだものって、今、タメになってる?
なってると思いますね。
読むスピードが速くなりましたし、
その後にコンサルティングの仕事をやった時、
本に書いてあった内容っていうのを思い出すことが多くて、
すごく参考になりました。
金澤くんは、色んな種類の仕事をやってきてるけど、
どれが一番、自分を成長させる仕事だった?
やっぱり、コンサルティングが一番大きいですね。
スカイプで、一人30分ずつ話しを聞くんですけど、
色んな質問が来て、その答えを見つけないといけないんで、
それを繰り返してたっていうのは、かなり自分の成長になりました。
漠然とした質問なんだけど、金澤くんてさ、
何か、こうなりたい、っていうような目標ってあるの?
最近読んだ本の中に、デス・エデュケーションっていう、
「あと半年で死ぬとしたら、何をやりますか」って質問があって。
自分でもそれを考えてみたんですけど、
でも、それを想像してみても、今やってることと変わらないと思うんですよ。
オレもそうなんだよ!
「最高の人生の見つけ方」っていう映画があるんだけど、
「死ぬまでにやりたいことリスト」ってのを書き出すシーンがあってさ。
それを観て、自分も考えてみたんだけど、これといって思いつかなくて。
よくわかります。
目の前の小さな仕事を少しずつやっていく、っていうことをこれまでやってきて、
それで不都合はなかったので。
そんなに、後悔するような生き方は今はしてないと思うんです。
そこは、すごく共感するなあ。
半年先に死ぬことがわかったとしても、
生き方を急に変えたいとは、あまり思いたくない。
まあ、僕がそういうやり方で、目の前のことをやってる一方で、
石井さんに予想外の方向にいきなり持っていかれることが多いので、
それでバランスが取れてるのかもしれないですけど(笑)。
それはあるかもなあ。
そこはやっぱり、バランスが取れるようになってるんだね。
運命を感じる時
金澤くんは、なんだか、気がついたらあっという間に結婚してたね。
(2008年の)4月にプロポーズをして、5月には子供がいるっていうことがわかって。
7月27日が奥さんの誕生日だったんで、その時に婚姻届を出したんですね。
ビックリするぐらい早い展開だったよね。
全然、プロポーズする予定とか考えてなかったんですけど、
ある日、朝起きたら、「あ、今日だな」ってわかって。
えぇ!?
で、その日に指輪を買いに行って、
すぐに渡しに行ったんです。
何の記念日とかでもないのに?
相当なサプライズだね。
私も驚きましたよ。
ぶははははは!
でも、そういうの、いいね。
誕生日とか、何かの記念日だと、
相手としても、「そろそろくるか」って、
ちょっと待ち構えてるところがあるだろうから。
そうですね。
後から考えれば、べストなタイミングだったと思います。
金澤くんは、占いもやるんだよね。
占ってもらうほうじゃなくて、自分が占うほうで。
もともと好きだったの?
いや、昔はまったく信じてなかったんです。
何か、きっかけがあった?
退職してすぐの頃に、
「この占い師は本当にすごいよ」って紹介されて、
その人に占ってもらいに行ったことがあったんですよ。
当時のノートを読み返してみると、
「占い師を、俺は利用する」とか書いてあって。
(笑)ノートにそんなことが!
ひどいヤツでしたよ、私は(笑)。
で、行ってみたら、もう、びっくりするぐらい当てられて。
それで、本物がいる、ということが実感としてわかったんですね。
今まで信じてなかった人のほうが、かえって、
深く興味を持つようになることって、あるみたいだね。
占いのことを勉強すると、見える世界って変わってくる?
なんか、自分自身が占いをやるようになって、
やっぱり、「流れ」っていうものが確かにあるってことを感じるんですけど、
それが、ちょっと気に入らないですね。
あ、それは気に入らないんだ?
運命っていうものを信じたくない気持ちがどこかにあって、
だから、なんか、そういうものがあるのかな、
って思うようになってしまうと、落ちつかないです。
今までには、どこかで、
運命を感じたような体験ってある?
高校生の時の就職面談で、
先生と話しをした時、いきなり、
「ホンダと三菱重工どっちに行くんだ」って聞かれて。
なんか、もうちょっと、説明とかがあるかと思ったんですけど(笑)。
でも、言われた瞬間、「ホンダで」って勝手に答えてたってことがありました。
(笑)いきなりその二択はすごいね。
でも、あれこれ情報をもらうより、いいのかもね。
どっちがいいかなんて考えても、結局、行ってみないとわからないし。
そうですね。
今の奥さんと出会ったのもホンダでだったし、
直感で選んだことを後悔したことっていうのは、今までないですね。
朝起きた瞬間に、プロポーズをするべき日がわかったってのも、
運命的なものなのかな。
もしかしたら、生まれてくる子供が言わせたんじゃないか、
とか、後から考えましたね。
ああ!なるほど。
その考え方は、ロマンチックで好きだなあ。
(2009年9月 新宿「タリーズ」にて)
【清水宣晶からの紹介】
金澤くんは、プロジェクトメンバーとして一緒に仕事をしていた時、「最強の足軽」という尊称をもって呼ばれていた。何でもすぐに実行するフットワークの軽さということもあるけれど、何よりも、リーダーになれる器を持ちながらも、目立つ表舞台には登場せず、舞台裏で着実に仕事を片付けていく姿をさして、そう呼ばれていたものだった。
彼のすがすがしさは、どんな環境であっても、それを前向きにとらえて、必ず自分を成長する場に変えてしまうことだ。その、向上心ともいえるエネルギーに周りも感化されて、プロジェクトの雰囲気はとても明るいものに変わっていった。
一児の父となった今も、金澤くんは変わらずに、自分のスタイルと哲学を持っているけれど、それを人に押しつけることなく、自然体で生きている。その姿勢にはいつも、どの場面においても、自然に敬意をはらわれながら、周りにいい影響を与えていく力があると思う。
金澤くんは、プロジェクトメンバーとして一緒に仕事をしていた時、「最強の足軽」という尊称をもって呼ばれていた。何でもすぐに実行するフットワークの軽さということもあるけれど、何よりも、リーダーになれる器を持ちながらも、目立つ表舞台には登場せず、舞台裏で着実に仕事を片付けていく姿をさして、そう呼ばれていたものだった。
彼のすがすがしさは、どんな環境であっても、それを前向きにとらえて、必ず自分を成長する場に変えてしまうことだ。その、向上心ともいえるエネルギーに周りも感化されて、プロジェクトの雰囲気はとても明るいものに変わっていった。
一児の父となった今も、金澤くんは変わらずに、自分のスタイルと哲学を持っているけれど、それを人に押しつけることなく、自然体で生きている。その姿勢にはいつも、どの場面においても、自然に敬意をはらわれながら、周りにいい影響を与えていく力があると思う。