山本達夫
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1949年東京生まれ。 高校時代に結成したグループ「宿屋の飯盛」で、のちに「飛んでみたのさ」などのレコードアルバムをリリース。 「ロードショー」や「雨の一日」など、楽曲提供も多数。いくつかの楽曲はYouTubeでも聴くことができる。 「ロードショー」 「雨の一日」 「二月の海」 「夜汽車の音は遠い思い出」 「夕暮れ時」 「後ろ向きの気まぐれ」 |
(2011年3月 大井町 山本家にて)
宿屋の飯盛
(清水宣晶:) この部屋は、東と南の二面に窓があって、ものすごく見晴らしがいい場所ですね。
(山本達夫:) そう、見晴らしと日当たりはいいんだよ。
サンルームみたいなもんだから。
ただ、このマンションは古いんでね。
もう一回、震度5以上の地震がきたら危ないなと思って。
地震の時は、大丈夫でしたか?
(この日は、東日本大震災の5日後だった)
部屋の中に置いてある色んなものがいっぺんに倒れてきて。
もうこの家も築40年以上だからね、
今すぐではないにしても、
引越しも考えないとって思うよ。
お父さんは、もともと東京の生まれなんですか?
だいたい久が原と御嶽山。
大田区の出身なんですね。
そう、ずっと大田区で、
大井町に自分で碁会所を開くっていう時に、
ここに移って来たんだよね。
碁会所を開く前から、
碁は打ってたんですか?
あちこちの碁会所に顔出してたんだけど、
でも碁ばっか打ってるとさ、
「仕事もしないで」って言われるだろ?
それが、自分で碁会所開いてれば、碁を打ってても
「仕事ご苦労さまです」って言われるんだよ。
なるほど!
それと、同じことで、
ギターばっかり弾いてると
「勉強もしないで」って言われるけど、
仕事だったら「ご苦労さまです」になる。
だから仕事にしちゃえ、って。
昔っから、そういう、
好きなこと以外やらないタイプだったんだね。
音楽は、
小さい時から好きだったんですか?
親父が、音楽が好きでね。
それはクラシックだったんだけど、
娘にピアノを習わせたいっていうのが夢だったらしくて。
はい。
で、お姉ちゃんがやってるなら僕もやりたい、って言って、
5歳の時から中学に入るまで、
7年ぐらい習ったのかな。
それで高校の時、バンドをやろうってことになって。
「宿屋の飯盛」っていう、変な名前なんだけど。
「宿屋の飯盛」っていうのは、
どこからとった名前なんですか?
江戸時代の狂歌師で、そういうのがいたんだよ。
宿屋飯盛は大田蜀山人の次ぐらいに有名な歌人で、
ナンバー2ぐらいになるのかな。
俺らのやってるのも、狂ってる歌だってことで、
そっから取ったんだけどね。
その、由来からして
パンクですね(笑)
そのバンドで、コロンビアレコードってところから、
アルバムを2枚と、シングルを4枚出して。


高校生の時ですか!?
いや、高校の時作ったのは、初代「宿屋の飯盛」で、
その時はまだ、アマチュアだね。
卒業してからも、
同じバンド名で活動を続けてたんですね。
僕は慶応の文学部に行ったんだけど、
僕が最初に受験した年っていうのは、
東大の入試が中止になった年で。
学生運動が激しかった時期と、
ちょうど重なってるんですね。
その時はもう、スゴかったんだよ。
毎日、血の跡が地面に残ってるような感じで、
授業がないんだよ。
結局、4月もない、5月もない、って。
ちょうどその頃、レコード会社から、
プロになりませんか?って話しがきて。
それで大学を中退したんですか?
そう、だからもう、
大学に入ったっていっても、
ほとんど行ってないも同然だよね。
すぐにデビューして、
アルバムまで出るっていうのはスゴいことですね。
そう、シングル1枚出てさようなら、
っていう人が圧倒的に多い中だったから、
結構面白いグループだったんだよね。
女子学生向けの甘い歌なんて作って、
それがヒットしたりすると、
「あいつは日和見だ」なんて言われたりね。
「軟派な歌を歌いやがって」って。
でも、僕らも食っていかなきゃいけないからね。
だんだん時代は変わってきてたし、その変化も感じてた。
一時期、今のオリコンでいうと、
チャートの2位と18位くらいに同時に載ったことがあって。
作詞・作曲:山本達夫、っていう名前を見た人たちから、
仕事がいっぺんに来た時期があってね。
そこで稼がなきゃ、ってことで、
夜も寝ないで頑張った時に、倒れちゃったわけだよ。
働きすぎたんですね。
血胸っていう病気になって、
腐った血を抜きながら、新しい血を入れていって、
輸血を10本くらいしたのかな。
それで、あまり無理が出来なくなっちゃって。
恭子が生まれたのも、ちょうどその頃だったんだよ。
はい。
で、今度は、車椅子になるきっかけになった、
脊髄動静脈奇形っていう病気になって、
音楽は完全に止めなさい、ってドクターストップがかかって。
それで、
碁会所を開くことにしたんですね。
最初はね、碁会所は世を忍ぶ仮の姿で、
もういっぺん、音楽家に戻れればいいなって思ってたんだけど。
なかなか、それだけの体力もつかなかったから。
恭ちゃん(山本恭子)の結婚式の時は、
じゃあ、自作の歌を披露するっていうのは、
だいぶ久しぶりだったんですね。
そうだよ!
だから、ちょっと、アガったよ。
でも、やり始めたらさ、
ワッと笑ってくれたりして、ウケたからさ。
それで落ちついたっていうか。
なんとかね、お客様の力もあって。
最初、笑いをもってきて、
あとでしんみりするっていう、
そういうところでも、
心を動かされる歌だったです。
やっぱりああやって、曲を作って人前で歌う、ってことになれば、
プロ意識みたいなものは、あるわけだよね。
そんなにお粗末なものは出来ないな、っていう。
だから結構、苦労したけどね。
作る時はだいぶ、考えましたか?
昔のアルバム写真を見ながら歌詞を作って、
ああ、軽井沢行ったな、北海道も行ったな、って
色々入れていったら、20分くらいになっちゃってね。
さすがに20分やったら恭子に怒られるだろう、と。
(笑)演奏の途中で、ストップが入りますね。
だから結局、しょうがなく、
「パパと恭ちゃんは仲良くて、いっぱいお出かけしたね」って、
一行に収めちゃったわけだよ。
ああ、、
その一行の中に、
色んなエピソードが凝縮されてたんですね。
そうやって削っても、11分になっちゃって。
だから恭子には、前もって、
「トイレの神様」よりは長くなるぞ、って言ってあったんだけどね。
ぶはははははは!
それは、わかりやすい基準ですね。
音楽長屋
(山本洋子:) ただいま。おかえりなさい。
お母さんも、ちょっと話しに加わってください。
お二人は、早い時期に結婚したんですよね?
そう、二十歳で。
ものすごく若いですね。
どこで知り合ったんですか?
最初に見たのは、コンサートで。
コンサートで!
この家に引っ越す前の大田区の家っていうのが、
一戸建ての大きな家だったんですよ。
そこはもう、色んな人が住みついてた家だったんです。
え!?
食客を養ってたんですか?
それを話すとまた長くなっちゃうんだけどね、
フォークの、何が肝かっていうと、
音楽業界とかレコード会社とかと関係なく、
自分の言葉で自分の生活を歌うことなんだ、と。
それで、アマとかプロとか関係なく活動出来るようにするために、
「音楽長屋」っていう活動体を作ったんだよ。
それで、全国の色んな場所に拠点が出来てね。
自宅に、演奏家だとか、
演奏はしないけど応援する人だとか、
いっぱい住んでたのよ。
そうこうしてるうちに、プロになったんだけど、
北海道にツアーに行ったりして帰ってくると、
家に知らない人が住んでて、
「どなたですか?」って聞かれるんだよね。
家主なのにね。
(笑)すごい話しだ!
多い時で、23人ぐらい泊まってたんだよ。
押入れん中まで。
それ、最初は、
お父さん一人で一軒家に住んでたんですか?
もともと親父の持ち家なんだけど、
会社の本社が堺にあったから、
その頃は、向こうに引越しちゃってて。
一人で住んでたもんだから、
絶好のたまり場になっちゃってた。
いいなあ、そういう混沌とした場所。
(肩の下ぐらいを掌で示して)
その頃、パパは、髪の毛がこんな長くて。
で、その家でコンサートをやるっていう時に、
私の友達に誘われて、聴きにいって。
そこで初めて話したのよね。
自宅でコンサートまでやっちゃうんですね。
16畳ぐらいの広間の、
半分がステージで、半分を客席にして。
自宅だから、無料だったわよね?
その頃は、色んなところでやったんだ。
お寺でやったり、風呂屋でやったり。
今よりもずっと、自由ですね。
表現手段としてのフォークっていうものが、
僕は面白いって思ったわけだよ。
今まで閉じこもりがちだった若者が、
ギターを持って歌にすることで表現する、っていう。
それがフォークっていうものの原則でね。
プロの水準からしたらダメだとしても、
一箇所すごく光るものがある、とか、
そういうのが大事なんじゃないか、って。
音楽業界とか、レーベルの都合で、
それを潰しちゃってはダメなんじゃないかと。
今は、また、
レーベルから独立して音楽の自主制作も
発表もしやすい環境になってるから、
インディーズでも活動しやすくなってますね。
こっちはもう、還暦も過ぎちゃったから、
死ぬ前に一回ぐらいコンサートでもやるかってことは言ってるんだよ。
恭子にも「やれやれ」ってけしかけられてるんだけどね。
そん時は、昔の曲をやるだけじゃなくて、
新しい曲を10曲ぐらい入れたいね。
家族の姿
山本家では、家族同士で、すごく対話がありますよね。
恭子を育てた時には、
僕は自由業だったでしょ。
だから、お風呂に入れたり、おむつを替えたり、
そういうことが出来たわけだよ。
麻子が生まれた時は、もう碁会所を開いた後だったから、
あんまり出来なかったんだけど。
だから、変わった父親だったと思うよ。
当時は、そういう父親って
あんまりいなかったでしょうね。
僕は子供に、勉強しろって言ったことは一度もないから。
むしろ、「学校休んで僕と遊びに行かない?」って言って、
子供のほうが困ってた。
(笑)子供のほうが恐縮する、っていう。
教育っていうのはね、親としても、あんまりやる必要はないんだよ。
それよりも、本を読ませること。
小さい時は毎晩、僕か女房が絵本を読んでた。
酒飲むと、途中で話し変えちゃったりして、
「昨日と違う!」って言われるんだけどね。
大事なのは、国語力と、
あとは、感動を共有するっていうこと。
一緒に旅行に行ったり、星空を見て「キレイだね」っていって。
一緒にいい絵を見て、いい音楽を聴いて。
それが出来れば、あとは何もいらない。
いいですね。
下地さえ整えば、
あとは自分で勉強するようになりますよね。
なんで勉強しろって言わなかったかっていうと、
僕が勉強が嫌いだったから。
恭子には、「自分で調べる」ってことを教えるためにね、
ウソばっかり教えたよ。
公園行くでしょ、
チューリップが咲いてるとさ、
「恭ちゃん、これ、ヒマワリだよ」。
で、ハトがいると、
「これはライオンっていうんだ」って。
ぶはははははは!
すごい!!
横で聞いてるママは、かわいそうだと思って、
ホントのことを言っちゃうんだけど、
パパとママで違うこと言ってるから、
本人は困って、自分で調べるしかないんだよね。
で、図鑑を買ってくれっていうんで、買ってあげたらね、
「パパ、うそつき!」って言われちゃって。
結構ハイリスクですね、その教育。
面白いんだよな、子供ってのは。
親は、育ててやってるんだから、
そのぐらい遊んだっていいじゃん。
(山本恭子:) ただいま。
おかえりなさい。
ちょっと、恭ちゃんも、話しに加わってちょうだい。
だいぶ、話し聞けた?
もう3時間くらい、
お父さん、話し続けだよ。
今までにも、
私の友達が随分、お父さんに会いに来たの。
昔っから、僕ぐらい、
娘の友達のことを知ってる親はいないと思うよ。
女の子だからっていうこともあって、
よく話しをしてて、友達のこともだいたい知ってるからさ。
だから、この前、披露宴に出席した私の友達のことも、
だいたい知ってたの。
今ね、教育の話しをしてたんだよ。
ハトをライオンって教えたことだとか。
それ、タメになる話しなのかしら。
いい話しだと思うよ。
ウチの場合は、娘たちにも色々と迷惑をかけたけど、
でも、子供に軽蔑されるような親ではなかったと思ってる。
それなりにね。
子供にとっての不幸ってのはさ、貧困じゃないんだよ。
夫婦仲が悪いのが不幸なんであって。
だから、家族が元気で集まっていればね、
家族みんなで貧乏っていうのは耐えられるんだよ。
それは本当に、そう思います。
恭ちゃん、おかわり(日本酒を)。
一人で飲んでる。
おしゃべりでしょう?
こうやって、いつも、
お父さんの話しをみんなで聞いてるんですね。
まあ、要するに、
いつもこんな感じなんだよ、
我が家ってのは。
(2011年3月 大井町 山本家にて)
【清水宣晶からの紹介】
恭ちゃん(山本恭子)の結婚披露宴で、
父親から贈る言葉代わりにピアノの弾き語りで歌った自作の曲には、
聴く人全員を圧倒させるような、感動的なメッセージが込められていた。
こんなにも心揺さぶられる、贈る歌を聴いたのは初めてだった。
それもそのはずで、お父さんは、
自分自身の魂を言葉に込めて歌にのせることに人生を賭けた、
全共闘世代のフォークソングライターだったのだ。
30年もの間封印していた音楽への思いを解き放ったのが、
披露宴での、娘に贈るラブソングだったというのは、
いかにも山本達夫という人物にふさわしい、ロマンチックな話しだ。
今回のインタビューで、初めてだった経験が2つがあった。
一つには、自分の父親世代の話しを聞けたということ。
もう一つは、恭ちゃん、麻子ちゃん、そしてお母さんを含めた「山本家」という家族全体の姿を伺うことが出来たということ。
僕の知らない時代を生きてきて、
数多くの経験を積み重ねてきた人の言葉には、
やはり、同世代の友人と話す時とは違う深みがあり、
音楽、文学、哲学、政治、歴史、と
ボーダーレスに展開される知識の幅広さには、
ただ圧倒されるばかりだった。
お父さんには、5時間にわたり、ぶっつづけで話しを聞かせてもらった後、
更にお願いをして、将棋を一局、手合わせしてもらい、
1時間あまりの間、今度は無言で盤面を睨みあう。
将棋でもやはりかなわず、
再戦を期して、その日は山本家をあとにした。
恭ちゃん(山本恭子)の結婚披露宴で、
父親から贈る言葉代わりにピアノの弾き語りで歌った自作の曲には、
聴く人全員を圧倒させるような、感動的なメッセージが込められていた。
こんなにも心揺さぶられる、贈る歌を聴いたのは初めてだった。
それもそのはずで、お父さんは、
自分自身の魂を言葉に込めて歌にのせることに人生を賭けた、
全共闘世代のフォークソングライターだったのだ。
30年もの間封印していた音楽への思いを解き放ったのが、
披露宴での、娘に贈るラブソングだったというのは、
いかにも山本達夫という人物にふさわしい、ロマンチックな話しだ。
今回のインタビューで、初めてだった経験が2つがあった。
一つには、自分の父親世代の話しを聞けたということ。
もう一つは、恭ちゃん、麻子ちゃん、そしてお母さんを含めた「山本家」という家族全体の姿を伺うことが出来たということ。
僕の知らない時代を生きてきて、
数多くの経験を積み重ねてきた人の言葉には、
やはり、同世代の友人と話す時とは違う深みがあり、
音楽、文学、哲学、政治、歴史、と
ボーダーレスに展開される知識の幅広さには、
ただ圧倒されるばかりだった。
お父さんには、5時間にわたり、ぶっつづけで話しを聞かせてもらった後、
更にお願いをして、将棋を一局、手合わせしてもらい、
1時間あまりの間、今度は無言で盤面を睨みあう。
将棋でもやはりかなわず、
再戦を期して、その日は山本家をあとにした。
















第287話 青山光一
第286話 岩上健太郎
第285話 堀場百華
第284話 栗林宏充
第283話 マツダミヒロ
第282話 木下英一
第281話 白井康平
第280話 在賀耕平
第279話 太田泰友
第278話 柄沢忠祐
第277話 鮏川理恵
第276話 伊藤大地・麻里子
第275話 金澤金平
第274話 近谷浩二
第273話 岡田信一
第272話 大野佳祐
第271話 吉田マリア
第270話 齋藤志穂
第269話 富岡直希
第268話 中村尚哉
第267話 塩川浩志
第266話 篠原憲文
第265話 金子久登己
第264話 大島亜耶
第263話 上山光子
第262話 日野秀明・熊谷祐実
第261話 山田貴子
第260話 渡辺正寿
第259話 桑原大輔・あやこ
第258話 田原さやか
第257話 高野慎吾
第256話 安久都智史
第255話 堺大紀
第254話 塚原諒
第253話 鈴木優介
第252話 藤原みちる
第251話 濱野史明
Mike Davis
第249話 松本菜穂
第248話 大竹恭子
第247話 前村達也
第246話 あや
第245話 須田高行
第244話 福原未来
第243話 古谷威一郎・育子
第242話 井出天行
第241話 吉澤希咲子
第240話 竹内真紀子
第239話 熊本敦子
第238話 飯塚悠介
第237話 ハン・クァンソン
第236話 山本勇樹
第235話 吉川徹
第234話 室伏那儀
第233話 石川伸一
第232話 北幸貞
第231話 石田諒
第230話 久保礼子
第229話 永富さおり
第228話 Simeon
第227話 吉田岳史
第226話 茂木重幸
第225話 向井朋子
第224話 大槻美菜
第223話 五十嵐昭順
第222話 山川陸
第221話 小林まみ
第220話 木下史朗
第219話 縄
第218話 ナカイ・レイミー
第217話 岩瀬直樹
第216話 カトーコーキ
第215話 服部秀子
第214話 東孝典
第213話 一戸翔太
第212話 柳澤拓道
第211話 りょうか
第210話 安藤雅浩
第209話 篠塚光
第208話 依田昂憲
第207話 森村ゆき
第206話 大北達也
第205話 伊勢修
第204話 中村里子
第203話 柳澤龍
第202話 細川敦子
第201話 山岸直輝
第200話 中澤眞弓
第199話 高野ゆかり
第198話 四登夏希
第197話 森田秀之
第196話 山﨑恭平
第195話 豊田愛子
第194話 金山賢
第193話 坂本正樹
第192話 江原政文
第191話 マツダミヒロ
第190話 おぎわらたけし
第189話 番匠健太
第188話 高塚裕士
第187話 森田藍子
第186話 黒澤世莉
第185話 橘田昌典
第184話 森村茉文
第183話 梶原隆徳
第182話 松本祐樹
第181話 中村元治
第180話 小園拓志
第179話 あらいみか
第178話 麻生沙織
第177話 豊田陽介
第176話 出口治明
第175話 森岡真葵子
第174話 阿部翔太
第173話 多苗尚志
第172話 石井貴士
第171話 田中美妃
第170話 井手剛
第169話 ひらつかけいこ
第168話 住田涼
第167話 松田大夢
第166話 藤田伸一
第165話 田口師永
第164話 大野佳祐/豊田庄吾
第163話 ウサギノネドコ
第162話 小野寺洋毅
第161話 はる@よつば
第160話 森村隆行
第159話 篠原祐太
第158話 ナカムラケンタ
第157話 大野雅子
第156話 クラリスブックス
第155話 紀乃のりこ
第154話 川島優志
第153話 木村孝・真由美
第152話 佐藤明日香
第151話 大槻美菜
第150話 吉村紘一
第149話 森村ゆき
第148話 辰野まどか
第147話 大橋南菜
第146話 アラ若菜
第145話 宮原元美
第144話 源侑輝
第143話 山本慎弥
第142話 熊崎奈緒
第141話 山中思温
第140話 徳永圭子
第139話 木戸寛孝
第138話 上村実生
第137話 吉田秀樹
第136話 平世将夫
第135話 杉なまこ
第134話 田村祐一
第133話 小橋賢児
第132話 竹沢徳剛
第131話 草野ミキ
第130話 藤沢烈
第129話 竹田舞子
第128話 KERA
第127話 石神夏希
第125話 吉村紘一
第124話 小原響
第123話 小笠原隼人
第122話 鈴木教久
第121話 物井光太朗
第120話 山本大策
第119話 中村真広
第118話 柳澤大輔
第117話 菊池大介
第116話 岩村隆史
第115話 大嶋望
第113話 今井健太郎
第112話 高橋政臣
第111話 栗田尚史
第110話 上村雄高
第108話 野口恒生
第107話 内野徳雄
第106話 森村泰明
第105話 中村洸祐
第104話 竹下羅理崇定部
第103話 田中美和
第102話 本田三佳
第101話 門松崇
第100話 浅見子緒
第099話 たきざわまさかず
第098話 大野佳祐
黄昕雯
第096話 山本達夫
第095話 本田温志
第094話 内田洋平
第093話 沢登理永
第092話 辰野しずか
第091話 マツダミヒロ
第090話 宮坂善晴
第089話 大久保有加
第088話 谷澤裕美
第087話 笠井有紀子
第086話 高杉なつみ
第085話 菅野尚子
第082話 小座間香織
第081話 山口夏海
第080話 藤田伸一
第079話 森田英一
第078話 新井有美
第077話 神田誠
第076話 紺野大輝
第075話 花川雄介
第074話 間庭典子
第073話 木村由利子
第072話 有紀天香
第071話 山崎繭加
第070話 佐藤孝治
第069話 金澤宏明
第068話 山田康平
第067話 西野沙織
第066話 川端利幸
第065話 岩下拓
第064話 清水宣晶
第063話 高橋慶
第062話 山本麻子
第061話 木村孝
第060話 田島由香子
第059話 石井英史
第058話 巻山春菜
第057話 多苗尚志
第056話 梅沢由香里
第054話 西村友恵
第053話 山口絵美
第052話 高木大
第050話 武藤貴宏
第049話 高橋早苗
第047話 清水元承
第046話 貴田真由美
第045話 伊藤敦子
第044話 シミズヨシユキ
第043話 武藤正幸
第042話 木村音詩郎
第041話 中村文則
第040話 野口幸恵
第039話 深森らえる
第038話 貫名洋次
第037話 黒澤世莉
第036話 大澤舞理子
第035話 石井貴士
第034話 高橋章子
第033話 和田麗奈
第029話 佐々木孝仁
第028話 縄手真人
第026話 五十川藍子
第024話 石田直己
第023話 鶴田玲子
第022話 杉原磨都美
第021話 石倉美穂
第020話 工藤妙子
第017話 石井千尋
第016話 見市礁
第013話 滝田佐那子
第012話 岡田真希子
第011話 田中直美
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第006話 もがみたかふみ
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第003話 岩崎久美
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